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【フィリピン旅行01】エルミタ・イントラムロス・中華街散策、高架鉄道でマカティへ! マニラ1日観光

近くて行きやすい国フィリピンの首都マニラ

冬に暑い国に行くことっていうのは、とても贅沢なことだと思います。
ニノイ・アキノ国際空港第3ターミナルに降り立ったのは、夜の11:40。
着ていた冬の服を脱ぎ捨て、半袖になれば気持ちを上げる準備は万端です。

わたしにとって67カ国目の初めての国、フィリピン。
やはり首都がどういうところか見ておきたくてマニラにやってきました。

わたしが宿を取っていたのはエルミタという地区で、そこに向かうべく、
タクシー乗り場に向かいました。
UBE EXPRESSという循環シャトルバスは、その時間すでに運行が終わっていました。
空港に乗り入れているのは、料金の決められたクーポンタクシーかメーター式のイエロータクシーで、
わたしは最初に出くわしたイエロータクシーに乗ることにしました。

ここでまずやられてしまいました。
調子のいいドライバーにずいぶん遠回りでエルミタに連れられ、
高額を請求された上(500ペソ程度のところ倍の1000ペソ)、
ホテルからだいぶ遠い場所に降ろされてしまいました。
日が変わる時間帯、治安が気になりましたが、ATMでお金をおろしている人がいたし、
少ないけど人通りが全くなかったわけじゃなく、周囲に気にしていればホテルまでは大丈夫そう。
どうにかホテルまでたどり着き、その日は無事に終わりました。

エルミタのロビンソン・プレイス

エルミタの中心地、ロビンソン・プレイス

翌朝、マニラ観光の開始です。
宿泊していたエルミタから始めます。

エルミタ地区はかつて、歓楽街で有名だった場所です。
今でも日本人や韓国人向けの夜のお店の看板があります。
フィリピンといえば女性が接客するフィリピンパブのイメージを持つ方も多いと思います。
かつて、「ジャパゆきさん」という言葉が日本で流行語になったことがあります。
フィリピンなどアジア各国から日本に出稼ぎに来る女性のことを呼んだ言葉です。
過去にザンジバル島の「からゆきさん」について書いたことがありますが(http://hobowise.com/Blog/travel/stone-town_zanzibar_tanzania/)、
その対比で作られた言葉のようです。80年代始めのことです。
その頃、日本ではアジアの物価の安い国に買春ツアーに行く人々が問題になったりもしていました。
秩序やルールは後から作られていくものです。
規制がなければ人はやりたい放題してしまうものなんでしょうか。

両替所

ロビンソンズ・プレイスの西に一本向こうの道には両替所がたくさんある

話しはそれてしまいました。
まずは旅費を手に入れるため、両替をしに行きます。
エルミタは旅行者の集まる地区でもあるので、両替所はたくさんあります。
両替所のレートはそれぞれほとんど変わりはありませんでした。
1万円=4,482ペソでした。

Jollibee

フィリピンのファーストフード店「Jollibee」はどこにでもある

それから北に向かって歩くと、エルミタ地区を出てリサール公園という大きな公園に出ました。
リサールというのは、民族運動家で思想家のホセ・リサールから取ったもので、
公園の真ん中には記念碑もあります。
ちなみに、この日(11月30日)はリサールと同じ時代のフィリピン独立革命のリーダー・ボニファシオの
誕生記念日で祝日でした。

公園の手前、ファーストフード店「Jollibee」で朝食にします。
フィリピンは主食が米で、糖質制限の流行っている日本と違い、何にでも米を合わせます。
フライドチキンと米のセットを始め、ファーストフード店らしいメニューを扱っています。

リサール公園

エルミタとイントラムロスの間にあるリサール公園

Jollibeeを出ると、さらに北に向かって歩きます。
フィリピンの道は道路の舗装が甘くデコボコで、とても歩きにくく
ただ歩いているだけでストレスが溜まってきます。
大通りを渡るための信号が青でも、なぜか発進しようとしている車がいて
注意深く車を避けて走って渡らなければいけません。これもまたストレスです。

しばらくすると、ゲートが見えてきました。
イントラムロス地区の入り口です。
イントラムロスは16世紀、スペイン人初代総督レガスピがフィリピン統治の本拠地として
建設した城塞跡で、マニラの原型ともいえます。
スペイン統治時代の面影が今でも色濃く残っています。
スペイン語の名称の地区(これはフィリピン各地にあります)やレストランがあったり、
ちょっと南米のようでもあります。
ここは、フィリピンの他の地区とは違って喧騒がない静かな場所です。

サン・オウガスチン教会

サン・オウガスチン教会

その中にあるサン・オウガスチン教会は、17世紀初めに完成したフィリピン最古の石造りの教会です。
教会には博物館が併設されているので、さっそく中に入ってみました(入場料200ペソ)。

教会内では、バロック風の祭壇やステンドグラスを目にすることができます。
また、当時の生活に関するものや布教活動の様子がわかる宗教画、人形などが展示されていました。

その中にひとつ気になる絵がありました。
日本人らしき人物と布教活動をしているようなフィリピン人らしき人物の絵なのですが、
その日本人が戦国時代のような服装をしていたのです。
日本とフィリピンにそんな昔から国交があったのか?
そんなイメージは全くなかったのですが、調べてみると実はあったのです。
しかも、なんとスペインが植民地化するより前からあったのです。
本格的に国交が確立されたのはスペイン入植後で、豊臣秀吉によって朱印船貿易が行われていたのです。
しかも、貿易に従事する日本人によって日本人町まで形成されていたのです。
今ではもうなくなってしまったのですが、最盛期には3000人もの日本人が住んでいたそうです。
鎖国が始まってからは、国交は途絶えてしまうのですが、
そんな前からフィリピンと関係があるとは知りませんでした。

ちなみに「サン・オウガスチン教会」は、
フィリピン各地にあるスペイン統治時代に建てられた他の3つの教会と共に、
「バロック様式教会群」として1993年にユネスコの世界遺産に登録されています。

マニラ大聖堂

マニラ大聖堂

サン・オウガスチン教会を出ると、その先のマニラ大聖堂に行きました。
ちょうど礼拝の時間だったみたいで、
この教会にあるアジア最大級を誇るパイプオルガンが聞こえてきました。

イントラムロスの城壁

イントラムロスの城壁

さらに北に向かって歩き、イントラムロスを囲む城壁を出て、
パッシグ川にかかるジョンズ橋を渡りました。
橋を渡れば中華街です。

ジョンズ橋を渡って中華街

ジョンズ橋を渡って中華街

漢字の看板が並び、またごちゃごちゃとした喧騒の街並みが現れました。
世界各国にある中華街と同じです。
中国物産を売る店、中国レストラン、金銀細工店が所狭しと並んでいました。
いくつかの川を越えたのですが、それがものすごいドブ川。
途中雨が降って濡れた道路を歩くと、泥が跳ねて足が汚れてしまいました。
そこまでけっこう歩いていたのと、歩きにくい町を歩き続けてきたことで、とても疲れてしまいました。

中華街

中華街

オンピン通りという通りをずっと歩いて、高架鉄道のカリエド駅に出ました。
乗り継いでマカティに向かいます。
この駅もまた煩わしいのでした。
駅の入り口に長蛇の列があるのです。
それを並び入り口まで行くと、手荷物検査を受け、X線のゲートを抜け、ようやく改札にたどり着きます。
マニラにはこのようなテロ対策があらゆる場所で行われています。

フィリピン南部にあるミンダナオ島は、イスラム武装勢力の拠点となっていて、
マラウイでイスラム武装勢力とフィリピン軍に戦闘が起きていたのは記憶に新しい出来事です。
戦闘は終息しましたが、やはりテロの危険はつきまといます。
テロ対策の手荷物検査は、煩わしさのつきまとうマニラでストレスをさらに感じさせられますが、
これでテロから守られているかと思えば、仕方のないことです。

高架鉄道の改札

高架鉄道の改札

高架鉄道のLINE1でマニラの町を南下し、エドゥサ駅でLINE3に乗り換えると、
アヤラ駅で降りました。
そこは、マカティ地区の中心地です。
先ほどの喧騒は嘘みたいに、整然とした街並みでビルが立ち並んでいました。
マニラのショッピング・ビジネス街です。

駅を出ると、そのまま駅に繋がっている「SMマカティ」というデパートの中に入りました。
そのまま「グロリエッタ」というデパート、「ザ・ランドマーク」というデパートも繋がっていました。
その出入り口すべてにテロ対策の手荷物検査があります。

日本にもあるような店舗が並び、涼しい店内を歩いていると、
ここがフィリピンだということすら忘れてしまいそうになります。

マカティはデパートが連なっている

マカティはデパートが連なっている

ランチがだいぶ遅くなってしまいましたが、フィリピン料理の食べられるお店を探しました。
グロリエッタの中に入っていた「DEKADA」というお店に入りました。
ちょっとおしゃれな店内、もちろん衛星面も心配なさそうです。

まずは、歩き疲れて喉が乾いていたので、ビールを頼みました。
サン・ミゲルビールです。
サン・ミゲルビールはアジア各地で飲まれている他、60ヵ国以上に輸出されている
フィリピンのポピュラーなビールです。
ダイエットのビールやフレイバーなどいろんな種類があります。

サン・ミゲルビール

サン・ミゲルビールのペール・ピルセンとプレミアム・モルツ

lumpiang palabok

「lumpiang palabok」。春雨の春巻き。ソースも野菜も初めて食べる味でした

シシグ

豚肉と豚のホルモンの炒め物「シシグ」。青唐辛子がピリリと効いてビールに合います

ライング

「ライング」は、ココナッツクリームにタロイモとタロイモの葉を和え香辛料で味付けしたタロイモサラダ

美味しいフィリピン料理にビールが進み、ほろ酔いで店を出ました(お会計約1,200ペソ)。
せっかくなので、その先まで歩いてみることにしました。

その先にあるグリーンベルトまで行きました。
そこは中央にグリーンベルト公園を配したモールで、先進国なみに洗練されています。
その日はiPhoneXのイベントが行われており、
たくさんの若者が最新のiPhoneXを持って集まっていました。

マカティのグリーンベルトにある飲食店がたくさん入った施設

マカティのグリーンベルトにある飲食店がたくさん入った施設

バーで1杯飲んでいたらすっかり暗くなり、ネオンが光りだしました。
町はすっかりクリスマスモードです。

マニラの高架鉄道は、終電が早いので早く宿に戻らなくてはいけません。
アラヤ駅から乗り継いで、エルミタのペドロ・ヒル駅まで乗って帰りました。
サン・ミゲルビールと同じくらいフィリピンでポピュラーなレッドホースビールを飲んで寝ました。

グリーンベルトからマカティの街並み

グリーンベルトからマカティの街並み

翌朝、少しマニラ湾の方まで歩いてみましたが、臭くてすぐに退散し、
午後にはセブ島に向けて飛行機に乗り込みました。

フィリピンの1人当たりGDPは、インドネシアとブータンの間くらい(2016年)。
貧富の差が大きく、それらが住み分かれているので、快適な場所とそうでない場所の差が激しいです。
物価は高めなのに、過ごしやすさは他のアジアの国と比べて劣る気がします。

マニラに何度も行きたいかと問われると今回で十分だと思えるのですが、
1度は行ってみてよかったなと思いました。
何といっても日本から4時間で来れるというのがいいなと思うのです。
7000以上もの群島で形成されているフィリピンですので、他の島も行ってみたいなと思いました。
さて、次回はセブ島について書いてみたいです。

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