夜は寝苦しかったけど、朝方涼しくなった。
8時半にガイドに起こされ、朝食をいただく。
セレモニースタイルのコーヒーを飲み、部屋から出ると、
女の子が隣の部屋に連れて行ってくれた。
宿泊先のこの家は、二世帯が一緒に住んでいる。
こちら奥の家族は、4人娘と2人の息子がいる。
12歳の長女・マーザが1番の働き者。
お母さんの手伝いをしっかりとこなす。
男の子は学校に行かせてもらえるけど、
女の子はお家の手伝いをするのが当たり前なのだ。
部屋に入ると、三女のジェミラが髪の毛を三つ編みにして結ってくれた。
私の足のストーンの付いたペディキュアが気になるらしい。
女の子は子どもの頃からオシャレに敏感だ。
10時半頃、迎えの車がやって来た。
家の姉妹が見送ってくれた。
マーザが私も一緒に行ってもいいか、と聞いてきた。
どこに行きたいのかと聞いたら、日本と答えた。
冗談なのか、少しでも本気なのか、
私がマーザの歳の頃はあまり家のお手伝いはしなかった。
アバーラ村の外れに水の配給所があり、
そこにはタンクを持った女性が殺到していた。
この村に住む人はまだいい。
遠く離れた集落からも水をもらいに来ているようだ。
水を得ることすらこんな重労働なんて、本当に何もかもが過酷すぎる……。
次の村に移動。岩山の続く道。
アバーラ村の朝は27度と涼しかったけど、
山を下り標高が下がると暑くなってきた。
途中、ビュースポットで停まったり、トイレ休憩を挟む。
しばらくすると、木を組み合わせて作られた家がいくつか見えた。
手作り感満載だけど、もちろん趣味で作っているわけではない。
中心地には土壁の家もたくさんあった。
バラハッレ村(Berhale)に到着したのは13時すぎ。
車の温度計は43度を表示していた。
一軒の家で食事をいただく。
ツアーがストップする家はだいたい潤っている。
他の周りの家の人々に比べ、身なりがきれいだし、所持品も立派。
そこで食べた食事もまた美味しかった。
ツアー会社も日々進化しようと工夫しているらしかった。
再び出発すると、殺風景な茶色い岩山が続く1本道を走った。
その途中、ラクダのキャラバン隊に遭遇。
この時期、ほとんどラクダのキャラバンに遭遇するチャンスはないと
聞いていたので、ラッキーだ。
3人の男の人がラクダの群れを連れていた。
彼らは、アサレ湖で取った塩を約57km先のベル・ハアレの町まで運ぶ。
過酷な環境下における往復2週間のキャラバンは酷暑の夏を避けて行われ、
涼しい時期になるとたくさんのラクダで列をなすそうだ。
それからまたしばらくすると、何やら立派な工場が見えた。
イスラエル資本の工場で、そこでは石鹸の原料を採取してるらしい。
その先に本当に小さな集落があり、
そこが次の目的地の村であるハマディラ(Hamade Ela)だった。
車の温度計は45度を表示していた。
ハマディラは、ダナキルを旅行する人々の拠点になる集落。
ここで、この先の旅行程に必要な許可証を軍に申請し、
兵士に同行してもらわなくてはいけない。
そんな旅行者や先ほど見えた工場で働く人相手に商売をする人々などで、
200人以上の人々がこの集落に住む。
車を降りると、外はものすごく暑く、吹いてくる風は熱風だった。
近くに冷たい飲み物を買える場所があると聞いて、
あいちゃんと2人探してみることにした。
すると、さっき見えた工場で働いている男の人2人に会った。
冷たいコーラが買える場所を聞くと、喫茶店に連れて行かれた。
2人の結論は、熱い飲み物は今は飲みたくない。
彼らにそう伝えると、また別の商店に連れて行ってくれた。
そこでは、違うランクルに乗っている人たちが
すでに冷たい飲み物を飲んでいた。
私もさっそくコーラを注文。
飲み終わる頃には、コーラはぬるくなっていた。
熱風が防げる建物の中にいるだけでもまだいくらかは涼しい。
案内してくれた男の人が、エチオピアはどうだい? と聞いてきたので、
私は好きだよと答えた。
「エチオピアは素晴らしい国なんだ。
どこに行ってもいい。どこに住んでもいい。自由な国さ」。
それは日本人の私にとっては、当たり前のことだけど、政情不安定な
ソマリアや南スーダンに面しているエチオピア人ならではの感覚だ。
許可証を得ると、車に兵士を乗せて出発する。
このエリアは、エリトリアとの国境に相当近い。
エルタアレ火山でついて来ていた兵士は登山用の護衛兵士だけど、
ここから付いて来るのは本物の兵士、国境警備隊員だ。
エチオピアとエリトリアは、1998年5月6日から2000年6月18日までの間、
大規模な国境紛争が行われた。
停戦合意後も、両国国境間は両軍が対峙する緊張状態にあり、
この辺り一帯は危険な地域であると言える。
2012年にダナキル砂漠の観光客と国境警備隊員がエリトリア軍によって、
惨殺されるという事件もあったくらいだ。
何も起きないことを祈るばかり。
しばらく走ると、遠くに白いラインが見えてきた。
アサレ湖だ。
その手前で降りると、泉のあるところに案内された。
水着を用意してきた旅行者たちは、さっそく泉に入って行く。
塩湖の塩分が溶け出した泉は、その濃度の濃さから人が入ると浮く。
死海のようにぷかっと。
暑い場所にあるので生温いくらいの温度で、
入っている間は気持ち良さそうだった。
シャワーのない夜を過ごすので、塩がついたまま眠ることを考えたら、
入りたいとは思わなかったけども。
車に戻り、また出発すると、今度は塩湖に行った。
1面白い塩。
ただ、土が所々混ざっているようで、色にムラがある。
足を踏み込むと、ミシミシと音がした。
水を含んでいる。
運が良ければ、塩湖全体に水が張って、まるで鏡張りのような景色が
見えるのだけど、あいにく水は張っていなかった。
ウユニ塩湖に行ったときと同じく、鏡張りには縁がないようだ。
太陽がぼやっとした形で西の空にあった。
しばらくすると、ぼやっとかかっている雲に消えていった。
美しい鏡張りのサンセットではなかったけど、異世界にいる感覚は味わえた。
ハマディラに戻ると暗くなっていた。
ベッドを並べ、マットレスとシーツを敷き、今日の寝床が完成する。
寝転がってみると、やっぱり寝心地はよくなかった。
ここは、標高、海抜下の土地。
世界で最も暑い場所、そして今は1番暑い夏。
夜になっても吹いてくる風は熱風だった。
塩湖で車の温度計を見たときは、46度だった。
ガイドが今日はマシな方だと言う。
ひどいときは、50度を超えるらしい。
それでも晩ごはんが悪くないので元気が出てくる。
今日もシャワーを浴びることはできず。