朝8時、エチオトラベルに集合。
昨日、エチオトラベルのオフィスで出会ったあいちゃんに会った。
出発まで時間がありそうだったので、
ヨハネス・ホテルのレストランで朝食にした。
きっとツアーで出てくる食事は貧しいものばかりだと思い、
覚悟の思いで最後のパスタを食べた。
結果、ツアーで出た食事は全部美味しかったのだけど。
結局、出発は9時だった。
1日目の今日は、ダナキル砂漠内にある活火山エルタ・アレに向かう。
オフィスに一緒にいた韓国人の男の子ドンイルと一緒に、
迎えの車に乗り込んだ。
この彼とはご縁があって、アジスアベバまで共に過ごすことになる。
あいちゃんがいなかったので、
アシスタントガイドのサロモンに聞いてみると、
彼女は次のストップにいるとのこと。
広いメケレの町を抜けると、のどかな風景の広がる一本道を走る。
途中、飛行場に寄ってもう1人ピックアップした。
しばらく走ると、小さな村にたどり着き、
そこには5台のランクルが並んでいた。
あいちゃんにも再会した。
4人のツアー客を乗せるランクルが5台、初日の参加者は20人。
今日がツアー3日目だと言う人もたくさんいた。
2日ごとにツアー客を入れ替えるシステムらしい。
別のランクルに乗り換えた。
再び出発すると、同じような景色が続き、ウトウトと眠りに就く。
しばらくすると、また、小さな村に着いた。
そこで、その先に旅行行程の許可証が必要らしく、
それを申請するのをしばらく待った。
そこの村の子どもたちは、旅行者にすれておらずかわいかった。
30分以上が経った頃、ようやく出発。
また、同じような道だったので、ウトウトと眠ってしまった。
ちょうど舗装路から道なきオフロードにさしかかる時に目が覚めた。
黒い岩がゴツゴツとしたものすごい悪路。
少し走るとトイレ休憩。
全然エアコンが効かないじゃないかと思っていたけど、
外に出てみると驚くほど暑かった。
車に付いている温度計は44度と表示されていた。
メケレが涼しかった分、より暑く感じる。
どこまで歩いても隠れそうな場所がなかったのでトイレは諦めることにした。
再び走ると、もっとすごい悪路になった。
世界で最もひどい悪路の1つと言われる道なき道だ。
ゴツゴツした岩場を横転しかねない角度で越えて行く。
ものすごく揺れる車内は、乗っているだけで疲れる。
少しづつ景色が変わっていく。
岩場の多いところ、荒野のようなところ。
竜巻のようなものがいくつもできているのが見えた。
こんなところは、人の来るところじゃないなと思った。
それでも、家が見えた。
こんな過酷な気象条件の土地でも、誰かの日常があるのかと思うと、
日本に生まれた自分は相当ラッキーだと思う。
ここダナキル砂漠の一帯に住むのは、アファルという名の遊牧民だ。
アファル人は、エリトリア南部、エチオピア北東部、ジブチ西部、
一部ソマリアを中心に居住していて、その数は244万人。
アファル人の男性はあまり働かないのに対して、女性は子育てから
水汲み、家畜の世話までする働き者。
本当に過酷すぎる世界だ。
14時半頃、小さな村に到着。
ランチタイムらしい。
期待してなかった食事は、意外にも美味しかった。
トマトソースの炒め物とペンネ、デザートにスイカもいただいた。
食べ終わったスイカのヘタを、子ヤギにあげた。
子どもたちは、ペンを欲しがった。
できればあげたかった。
再び悪路を走る。
ちょっとウトウトしたら、頭をぶつけてしまう。
ランチを食べた村から、
次のストップへとラクダが荷物を運んでいるのが見えた。
2時間半くらい悪路を走ったところで、兵士がいる見張り台が見え、
その先に小さな家が並ぶ場所があった。
そこは、エルタ・アレ火山へのトレッキングの拠点になる場所らしい。
ここでいったん休憩を挟む。
小さな家にマットレスを運び込んでしばしの休憩。
特に何かしたわけでもないのに、
暑い中の悪路走行は体力の消耗が半端なく激しかった。
外はまだまだ暑かった。
しばらく休むと、スープが出た。
陽が沈んだ頃、いよいよトレッキングに出発。
エルタ・アレ火山頂上のベースキャンプ、ドドムに向かう。
何かあったときのために兵士が数人同行してくれる。
予定では3時間で到着するはず。
しかし、出発したところからは、エルタアレ火山は見えない。
一体どれくらい歩くのか検討がつかないまま歩き始めた。
しばらくは砂漠を歩く。
砂に足が取られて、ものすごく歩きにくかった。
そんでもって荷物が重い。
荷物に1.2ℓの水が2本、500㎖のジュース、借りたブランケットが追加された。
陽が沈んだとはいえ、まだ暑い中歩いていると、
頭が締め付けられるように痛くなった。
しばらく歩くと、いつの間にか最後尾の人たちの手前にいた。
それより後は兵士もいない。
この位置を死守しなければ、
遭難するかもしれない……そう思い一生懸命歩く。
私は山登りが好きだけど、歩くのはものすごく遅い。
半分以上は歩いたんじゃないかと思うほど、
私にはハードだった道のりの先で休憩。
まだ3分の1しか歩いてないらしかった。
また歩き始めると、暗くなりだしたのでライトを照らす。
道は砂場から固まった溶岩台地に変わった。
溶岩の凹凸を確認しながら歩くというのは神経を使う。
小さい溶岩に足をかけると、バランスを取るのにエネルギーが必要だ。
エルタ・アレ火山は粘性の低い溶岩によってできた火山のため、
傾斜は比較的緩やか。
しばらく歩いたところで最後を歩いていた人たちに抜かされそうになった。
ヤバい……。
そう思ったら、最後に歩いていた1人のおじさんが、
大丈夫かと声を掛けてくれた。
そして、重かったペットボトルの水を1本持ってくれ、
私の後ろを歩いてくれた。
彼はホセさんというスペイン人で、
息子のマルコ君と一緒にツアーに参加しているんだと話した。
ホセさんは、マルコ君にいろんな話を聞かせているようだった。
思春期な年頃のマルコ君はとてもピュアな男の子で、
それはきっとホセさんがいいお父さんだからなんだろうなと思った。
2回目の休憩で、後1時間と言われガッカリする。
もっと進んでいるのかと思った。
空を見上げると満天の星空が見えた。
大金払ってわざわざこんな辛いことをしている自分が、マゾのように思えた。
世界一過酷なツアーと言われる意味がよくわかる。
それでも一息ついて、星空を見上げたら、
長い人生にこんな日も必要だと思えた。
3回目の休憩では、後20分だと言われた。
このタイムの出し方は、上級者の体力が基準じゃないかと思う。
もう歩ける元気がなかったけど、頑張るしかなかった。
口に入ってくる汗がしょっぱかった。
口の周りを舐めると、濃度の高い塩味がした。
身体から相当な量のミネラルが抜け出ている。
1.2ℓの水がなくなりそうになった。
頭の痛さが増した。
熱中症が心配だった。
しばらくすると、道の先に山の山頂の影が見えた。
山の上はほんのり赤く見える。
この上に火口があるんだ、と思うと少し元気が出てきた。
山頂にたどり着いたときにはもう、何もできないくらいヘトヘトだった。
まだ全員揃っていないらしく、どうやら私よりも遅い人がいるようだった。
頂上にはシェルターと呼ばれる
アファール族が作った石積みの小屋が並んでいる。
ここがドドム・キャンプサイトだ。
みんなでしばらく休んだ後、ガイドからの説明があった。
火山の火口はドドムのキャンプサイトから8分。
火山の火口見学は、明日の朝のスケジュールにもなっているけど、
今夜も見たいというなら、行きたい人だけ行けばいいとのこと。
ものすごくヘトヘトだったので、今夜はいいかなと思ったけど、
ここまでがんばったのだから、やっぱり見ておこうと向かった。
ドドムの反対側に行くと、その先に赤く光り、
煙がモクモク出ているところが見えた。
時々、火花が飛んでいる。
火山火口までもう一踏ん張りした。
火口到着。
硫黄の匂いが広がる。
直径350mのクレーターが広がっていて、
手前の部分でマグマが吹き出し火花を飛ばしていた。
先に到着していた人々が顔を真っ赤に染めながら、
火口を見下ろしている。
近づいてよく見てみると、クレーターいっぱいにマグマがあるのが見えた。
グツグツと煮えたぎるマグマの表面は黒く固まっていて、
所々表面の膜を破ってマグマが吹き出している。
熱々のグラタンを想像した。
煮えたぎったホワイトソースの気泡が、
表面に固まったチーズを破裂させるのとソックリ。
さっそく、写真を撮ろうとカメラを出すのだけど、
熱のせいか煙のせいか粉塵があるのか、カメラの調子が悪かった。
それでも、なんとか何枚かは撮影した。
この火口は、世界的にも数少ない恒常的な溶岩湖。
活動中の溶岩湖としては最も古く、
地表にある火山の中では最も低いとされている(613m)。
エチオピア国内で最も活発な火山だ。
ツアー参加者のほとんどはまだまだそこにいたいようだったけど、
疲れ果てていた私は、同じく早く帰りたいという人たちと
少し早めにドドムに戻った。
ドドムに戻ると、ガイドが部屋に案内すると言うのでついて行くと、
15㎝ほどの高さの石積みで囲まれた2つのマットレスがあるだけだった。
今日はそこで、あいちゃんとお泊まり。
シーツを敷いて寝転がる。
星空がものすごくきれいだった。
しばらくすると、晩ごはんが運ばれてきた。
パスタだった。
寝る準備をして、横になるとすぐに眠りに就いた。
夜は少し雨が降った。