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【アメリカ大陸縦断046】魅力たっぷり、地球の裏の摩天楼!(@ブエノス・アイレス/アルゼンチン)

ステーキとワイン三昧のブエノス・アイレス

朝の8時頃、ブエノス・アイレスのバスターミナルに着いた。
ターミナル内から見える建物は壊れかけているし、
ゴミはたくさん落ちているし、想像との違いに戸惑っていたら、
どうやらバスターミナルの周辺レティーロ地区にはスラムがあるそうだ。
ウォン・カーウァイの映画の雰囲気に近いかもしれない。

ターミナルを出ると、警察官に道を教えてもらいお目当ての宿に向かった。
上野山荘。
有名な日本人宿だ。
駅から歩いて行ける範囲。

が、行ってみると、あいにく満室だった。
行くあてがなく困っていると、
そこに宿泊しているおばあさんが近くの宿を教えてくれた。
「私、82歳。アルゼンチンは7回来てるねん。
昔な、南米で強盗に合ってもうてな、家族が連絡手段ないと困る言うてな。
タブレット持つことにしてん。
けどな、時々使い方わからんくなるから若い子に教えてもらうねん。
私も前に来たとき、ここいっぱいやったから、その宿、行ってん。
さっきも、男の子来てな、追い出されとったからな、その宿教えたってんで」。
おばあさんは、器用にタブレットを使いこなし、
宿の場所をコテコテの関西弁で、教えてくれた。
あまりの強者の出現に、しばらく興奮してしまった。
まさか80代で、バックパック旅行をやっている人が
いるなんて思っていなかった。
3日後の予約をして、上野山荘を後にした。

教えてもらった宿までは、歩いて20分ほどだった。
レセプションでチェックインしていると、日本人に出くわした。
おばあさんがこの宿を紹介したというのは、
ウユニで一緒のツアーに行ったツヨシくんだった。
ツヨシくんは、上野山荘からこの宿までタクシーに乗り、
運転手に恐喝され、130US$を取られてしまったらしい。
「ブエノス・アイレス、ほんと、気をつけないとダメですね」。
改めて身を引き締められた気分だ。

昼になると、出かけた。
近くのカフェ・バーに入った。
さっそくビーフステーキのランチセットを注文。
赤ワインとビーフステーキ。
10年以上前から、何度も何度も、ブエノスでステーキと
ワイン三昧をしたという自慢話を聞いてきた。
ようやく私もありつける。
ガツンとした赤身肉。
赤ワインとよく合う。
デザートまで堪能して、ほろ酔いで店を出た。

アルゼンチンのステーキ

アルゼンチンのステーキ。ランチなら100ペソくらいでワインとのセットもある

次は両替。
サン・マルティン広場を越えて、フロリダ通りに出る。
フロリダ通りは、最先端ファッションの店が並ぶにぎやかな通り。
通りを歩くと、何人もの闇両替商に出くわす。
何人かにレートを聞いて、1番いいところで両替を済ませた。

それから、ワインセラーでワインを買って、八百屋で野菜を買って帰った。
宿に戻ると、シャワーを浴びて、ツマミの用意をする。
そして、祝杯。
相棒の最終目的地到着祝いをした。
ずっと楽しみにしていたメンドーサのワイン。
その日は、カベルネ・フランを開けた。

翌朝、宿のスタッフ・ルーカスに危険地帯を教えてもらってから宿を出た。
サン・テルモ地区は歩いて行かないようにとのこと。
しばらく歩くと、ツヨシくんに会った。
教えてもらった危険地帯をツヨシくんとも共有した。
2度目があったら目も当てられない。

コロン劇場

コロン劇場

日光浴を楽しむ人々がいるリベルタド広場を突っ切って、
7月9日大通り沿いに出る。
少し歩くと、コロン劇場にたどり着いた。
この劇場は、イタリア・ミラノのスカラ座に次ぐ世界第二の大きさで、
フランス・パリのオペラ座と合わせて、世界三大劇場とされている。
バレエの公演が行われているらしく、余裕があれば行ってみたかったな、
と後ろ髪を引かれながら劇場を後にした。

オベリスコ

オベリスコ

そのまま、7月9日大通りを渡ると、オベリスコが見えた。
ブエノスを象徴する景色だ。

そこから、レティーロ駅を目指す。
途中、迷っていたら大きな犬と散歩途中のおじいさんが
駅の側まで案内してくれた。

レティーロ駅には、3つの線が発着する。
ネオ・ゴシックな駅舎を探索しながら、
その奥にあるバスターミナルへと向かった。
駅の前は、アルゼンチン空軍広場。
イギリスから寄贈された英国塔が見える。

レティーロ駅

レティーロ駅

バスターミナルで、次の目的地バリローチェまでのチケットを購入すると、
駅の周りにある立ち飲み屋でホットドッグとビールを飲んだ。
ブエノスの街中には、ホットドッグやチョリソーの
サンドイッチ・通称チョリパンなどを売る店が至るところにある。

サン・マルティン広場

サン・マルティン広場

それから、サン・マルティン広場に行くと、たくさんの露店が出ていて、
緑のものを身に着けた人が集まっていた。
どうやら、アイリッシュ・フェスティバルのようだ。

そのまま、フロリダ通りに出ると、ひたすら歩いた。
いろんな店を見て回り、気に入った服を買った。
ブエノスの人は、オシャレな人が多い。

5月広場から伸びる5月通りまで出ると、レストランに入った。
2回目のステーキ。
そして、ワインはメンドーサ産。

カビルド

カビルド

ほろ酔いで、5月広場に向かった。
ブエノスの街は、この5月広場を中心に造り始められたようだ。
広場に面したカビルドでは、独立宣言も行われた。
広場の東にあるカサ・ローダと呼ばれる大統領府に行ってみた。
今も尚人気の高いペロン大統領の政権当時、
夫人のエバ・ペロン(エビータ)と共に演説を行った際には、
10万人もの聴取が集まったとか。
中に入ることもできた(中に入れるのは週末のみ)。
ちなみに、エビータの愛称で知られるペロン大統領夫人は、
下層階級から大統領夫人まで上りつめた人で、
そのシンデレラストーリーは本や映画にもなっている。

カサ・ローダ(大統領府)

カサ・ローダ(大統領府)

それから、5月広場から伸びるディフェンサ通りに行った。
ここは、日曜になると骨董市が出ることで有名だ。
通りの北側は雑貨の露店が主。
アルゼンチンの有名アニメのキャラクターをモチーフにしたグッズや、
手作りのアクセサリー、アルゼンチン特産の牛革製品や、
個性的な服、周辺国の特産品なども売られている。
骨董市は、南の方にあった。

南米音楽はものすごく楽しい

南米音楽はものすごく楽しい

私たちは、手描きの木製看板を買った。
通りには、南米音楽を奏でる大道芸人がいたり、
お酒を飲むところもあるので、1日中楽しめそう。
時間をかけてじっくりと買い物することが出来れば、
いいものを買うこともできそうだ。

骨董市

骨董市

日が暮れると、宿に戻った。
その日の夜は、ツヨシくんとともに飲んだ。
ツヨシくんは明日にはブラジルのビザを取るため、
パラグアイのエンカルナシオンに行くそう。
エンカルナシオンでは、銀行の残高証明書や出国チケットなどなしで
ブラジルビザを取れることで有名だ。

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翌日は、ウルグアイに日帰り旅行へ行った。
【アメリカ大陸縦断046】
ウルグアイへの日帰り旅行(@コロニア・デル・サクラメント)

を参照。

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3日後の朝は、荷物をまとめてタクシーに乗り、上野山荘に移動した。
やはり情報を拾うには、日本人宿が最適なのである。
上野山荘の日系人オーナーであるいつこさんに宿を案内してもらった。
久しぶりにガイドブックを読んだ。
昨日行ったコロニア・デル・サクラメントの1番の見所を見逃していたみたいで、
ショックだった。

午後になると、
旅行者の方にスーべ(チャージ式のカード)を借りて出かけた。
近所のキオスコの機械で、使う分のお金をチャージすると、
サンタフェ通りから152番のバスに乗る。
30分ほどで、ボカ地区に到着。
終点で降りた(3.5$)。

ボカ港

ボカ港

目の前は、港。
ボカ港はかつて、アルゼンチン随一の港だったようだが、
今では閑散としている。
ボカ地区もまた危険と言われる場所の1つだ。
観光地らしい場所以外には行かないでおこうと決めていた。

ボカ地区は治安が悪いので注意だ

ボカ地区は治安が悪いので注意だ

少し歩くと、カラフルに壁やテラスを塗り分けた独特な1角にたどり着いた。
そこは、カミニート。
カラフルな街は、ボカ生まれの画家キンケラ・マルティンによるアイデア。
キンケラ・マルティンはボカで働く人々を描き、世界的に有名になった画家だ。

カミニートに入ると、タンゴの音楽が聞こえて来る。
かつて、ボカ港が栄えていた頃、造船工場や賭場があり、
労働者や船乗りのたまり場だった。
そんな男たちを相手にする安酒場などが密集し、
そんな文化の中から官能的なタンゴのダンスが生まれたのだ。
店の外にテーブルを出したレストランでは、
タンゴのショーを見ながら食事をすることができる。

カミニートのタンゴダンサー

カミニートのタンゴダンサー

カミニートのカラフルな街並み

カミニートのカラフルな街並み

セクシーな衣装に身を包んだ女性が、街角に座っていた。
「まだ、どこの店に入るのか決めていないなら私そこで踊ってるからどう?」
そう言われたので、その店に入った。
3度目のステーキと、ビーフシチューと、サーバーで出されるビールを注文。
とても柔らかいサーロインステーキに、
とても美味しく味付けされたビーフシチューだった。
ブエノスに来て、1番美味しかった。
タンゴのショーは、3組のカップルが
それぞれ違うタイプのダンスを見せてくれた。

それから、画家の卵たちが絵を売る通りを歩き、
人がいてにぎわうところだけを歩いた。
そのままバス停に戻り、来たときと同じバスに乗った。
前の宿がある近くのレコレータ地区でバスを降りた。

サンタフェ通りを歩き、世界で2番目に美しいといわれる本屋
「エル・アテネオ・グランド・スプレンディド」に行った。
昔の劇場を利用した書店で、
イタリアの画家が描いた天井画など豪華な造りになっている。
こんな本屋が自分の家の近くにもあったら、
どれだけ長居してしまうことか。
素敵な写真集でもあればと探してみたが、いいものがみつからなかった。

エル・アテネオ・グランド・スプレンディド

エル・アテネオ・グランド・スプレンディド

それから、レコレータ墓地に向かった。
レコレータ地区は、高級住宅街でサービスのいいレストランや
オシャレなカフェ、センスのいいブティックなどが建ち並ぶ。

レコレータ墓地に着いたもののあいにく入場できる時間は終わっていた。
アルゼンチン人にとって墓のある場所は階級を評価されるポイント。
そんなアルゼンチン人にとってレコレータ墓地は、最高級墓地。
歴代大統領やエビータもそこに眠る。
彫像と伝統的な装飾のされた芸術的な墓地として世界的にも有名。
ちょっとでも見ることがてきたらと門から中をのぞいた。

聖母ピラール聖堂

聖母ピラール聖堂

そのまま、その横にある聖母ピラール聖堂にも寄った。

フロリダ通りで再度両替して、ブエノス最後の夜をカフェバーで乾杯した。
その日は遅くまで宿で飲んだ。

翌日は、ゆっくりと過ごし夕方になると、
相棒にタクシーでバスターミナルまで見送ってもらってお別れした。
また、1人旅の再開。
明日は、バリローチェだ。

泊まった宿:Hi Recoleta Hostel

【住所】Libertad 1216, Buenos Aires 1027, Argentina
【料金】350$(トイレ・バス共同・ツイン)
【設備】Wi-fi、キッチン、朝食
【評価】★★★☆☆

泊まった宿:上野山荘別館

【住所】Suipacha 933, Piso3 Buenos Aires, ARGENTINA
【料金】250$(トイレ・バス共同・ツイン)
【設備】Wi-fi、キッチン、水
【評価】★★★★

移動:プエルト・イグアス→ブエノス・アイレス

バス(Cruzero del norte社・カマ)で17時間。1,340km。900$。
プエルト・イグアス→ブエノス・アイレス

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