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【アメリカ大陸縦断・番外編3】アートに、海に!(@ビーニャ・デル・マル、バルパライソ/チリ)

バルパライソのアートな街散歩

添乗員が、各シートのカーテンを開け、朝食を配った。
まだこんな真っ暗なのに、と思って時計を見ると7時だった。
その1時間後には、サンチアゴに着いた。
ビーニャ・デル・マルのバスターミナルに到着したのは、10時すぎ。

バルパライソ大通りを歩いて、ベルガラ広場の近くの銀行で両替し、
キンタ通りを目指す。
途中、お腹が空いてホットドック屋に入った。
トマトの角切りとアボカドペースト入り、
マヨネーズとケチャップとマスタードを塗って食べる。
チリの街角には、こういうホットドックの店が至るところにある。

チリのホットドック

チリのホットドック、全部載せ

キンタ通りで、68番のコレクティーボに乗ると、お目当ての宿に向かった。
看板も何もないので、一瞬インターホンを鳴らすのを躊躇したが、
オーナーの山岸さんが扉を開けてくれたときは、ホッとした。

汐見荘という日本人宿。
宿には知った顔もいた。
シャワーを浴びた後、みんなでバルパライソに行くというので
便乗させてもらうことにした。

メトロ・バルパライソ

メトロ・バルパライソ

8人で出掛けると、坂を下って駅に向かった。
来たときは厚い雲がかかっていた空も、雲ひとつない快晴になっていた。

メトロ・バルパライソ終点のプエルト駅を降りると、
ソトマヨール広場まではすぐだった。
青い海軍総司令部の建物を過ぎ、アレグレの丘の階段を上る。

ソトマヨール広場

ソトマヨール広場

なかなか急な坂だ。
バルパライソの街には、アセンソールというケーブルカーがあり、
それで丘に上ることもできるようだ。

アセンソール

アセンソール

丘の上にたどり着くと、港や街が一望できた。
バルパライソは、チリ最大の港町で、チリ第二の都市でもある。

丘の上には、イタリア建築のバブリッツァ宮殿があり、
その横の小路をさらに歩いた。

パブリッツァ宮殿

パブリッツァ宮殿

坂道や石段の急な斜面にカラフルでノスタルジックな家々が並ぶ。
この街は、世界遺産に登録されている。
なのに、そこら中がラクガキだらけ。
ただ、ラクガキと言っても、ものすごくハイセンスで芸術的なものばかり。
いわゆるグラフィティである。
街を歩くと、様々なグラフィティに遭遇する。
窓枠に鳥が停まっているようなものや、
壁の魚がはみだして地面にまで逃げていっているものなど、
発想までもが芸術的だ。
ただ、ラクガキのある街といえば、
やっぱり治安も良くないわけで注意が必要だ。

街中にはアートがそこら中にある

街中にはアートがそこら中にある

本当にかわいい絵がいっぱい

本当にかわいい絵がいっぱい

道に迷うと、ベネズエラ在住でスペイン語がペラペラのケイト君が、
地元の人に道を訪ねてくれるので助かる。

いろいろと歩いているうちに、コンセプシオンの丘に出た。
そこからの眺めも最高だ。
大きなビルに描かれた巨大なグラフィティも見える。

バルパライソを一望

バルパライソを一望

ピアノのように描かれた階段は日常に使われている

ピアノのように描かれた階段は日常に使われている

バルパライソを歩いていると、お店もかわいいので楽しい。
アメジストの指輪に一目惚れして、買った。

坂を下り、また上り、みんなが行きたい青空美術館を探して歩く。
しばらくすると、白いゲートのある場所を発見した。
そのゲートをくぐり、通りを歩いた。
しかし、そこにはそれほどグラフィティはなく、
期待していたほどでもなかった。
ロベルト・マッタが描いた絵があったり、
辺り一面がアートになっている場所もあるそうだが、
結局私たちはそこにたどり着けなかった。

何もかもオシャレで絵になる

何もかもオシャレで絵になる

メトロ・バルパライソに乗って帰ると、
その夜は、宿のみんなでストックしておいてくれた魚を使ったシェア飯を食べ、
気分がよく、1人で1.5lのワインを空けてしまった。

翌朝は、飲み過ぎたせいで早くに目が覚めた。
そのまま、魚市場に買い出しに行く人たちと一緒に行ってみることにした。

その日もまたよく晴れていた。
私が来るまではずっと曇り空だったそうなので、本当にラッキーだ。

ビーニャ・デル・マルもバルパライソも太平洋沿いの街だ

ビーニャ・デル・マルもバルパライソも太平洋沿いの街だ

宿を出ると、駅を越えて、太平洋沿いを歩いた。
海は、太陽の光を受けてキラキラと光っていた。
海を見ると、見たことのない大きな鳥がカモメに混ざって飛んでいた。
ペリカンらしい。

ペリカン

ペリカンはたくさんいる

漁港のある桟橋まで行くと、
桟橋の下に何かいるのが見えたので行ってみた。
大きな身体をした何かが、海岸に数十匹いる。
そのふてぶてしい姿は、おそらくトドだと思われる。

カモメもいっぱい

カモメもいっぱい

ふてぶてしい態度のトド

ふてぶてしい態度のトド

漁港に行くと、海岸に船がいっぱい停泊していて、
その前で漁師さんが魚を広げて売っていた。
魚は、キロ単位で買うか、1匹丸ごと買わなくてはいけない。
結局、何も買わず、宿に戻った。

漁港

漁港

宿に戻ると、昼の陽が差す部屋で昼寝した。
太陽がだいぶ傾いてきた頃、散歩に出かけた。

駅まで出ると、太平洋沿いを漁港とは反対に向かって歩く。
海の近くでは、黄昏れている人たちの姿が見える。
海沿いの街に住んでいる人たちがうらやましいなと思った。

ビーニャ・デル・マルの太平洋沿いで黄昏れる人も

ビーニャ・デル・マルの太平洋沿いで黄昏れる人も

しばらく歩くと、ビーチにも出た。
ビーニャ・デル・マルは、サンティアゴなどの都会に住む人たちの、
手軽なリゾート地だ。

ビーニャ・デル・マルのビーチ

ビーニャ・デル・マルのビーチ

ビーニャ・デル・マルの花時計

ビーニャ・デル・マルの花時計

ビーチの近くの花時計から、坂を上った。
そこはカスティージョの丘。
上流階級の人が別荘を建てる場所だ。
大統領の別邸もあるそうだ。

カスティージョの丘

カスティージョの丘

坂を下って、セントロに向かって歩き、バルパライソ通りに出た。
通りはすごくにぎわっている。
そのままバスターミナルまで行くと、
サンティアゴまでのチケットを買った。

大通りでは、すでに通勤ラッシュの始まっていて、
コレクティーボ乗り場も列ができていた。
宿に戻ると、シェア飯にありついて、みんなと話しながら楽しく過ごした。

翌日は、ゆっくりと過ごすことにした。
旅も終盤、旅をしているという気持ちは
ウシュアイアに到着したときに終わってしまったような気さえする。

1人でスーパーに買い物に行って、のんびりとパスタを作ると、
いろんな種類の果実の樹に囲まれた中庭のテーブルで、
ワインを飲みながらランチにした。

「お酒好きそうですね」。
そう声を掛けてくれたのは、宿のオーナーの山岸さん。
山岸さんは、70年代中盤に旅をしていた元バックパッカーだ。
昔の話を少ししてくれた。
「あの頃は、日本もまだまだ貧乏だったんだ。
ぼくが仕事を辞めて旅に出たとき、最後の給料は180ドルだった。
アメリカやオーストラリアで皿洗いでもすれば、
1,000ドルくらいは稼げたもんだから、
日本に帰るのがバカバカしくなってね」。
山岸さんは今、チリ人の奥さまと一緒にここでのんびりと暮らしている。
素敵な老後だと思う。

山岸さんが使っていたガイドブック

山岸さんが使っていたガイドブック

第二次世界大戦中、中南米の国々はほとんど戦争に参加していない。
逆に、アルゼンチンは戦時中、工業製品や食料を大量に輸出して財を成した。
まだまだ貧困だった日系人が、
夢を持って南米に渡ってきたというその歴史は、
私にとって世界を見る新鮮な視点だった。

汐見荘のキッチンからの眺め

汐見荘のキッチンからの眺め

やっぱり旅はおもしろい。
素直にそう思った。
そしてそう、翌日は、最後の街への移動だ。

ビーニャ・デル・マルの宿:汐見荘

【住所】General Baquedano 319,Recreo,Vina del mal,Chile
【料金】6,800$
【設備】Wi-fi、キッチン(1回200$)
【評価】★★★★★

移動:プエルト・モン→ビーニャ・デル・マル

バス(BUS NORTE社)で15時間。1,120km。22,000$。
プエルト・モン→ビーニャ・デル・マル

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