ついに、出発。
1カ国目は、ちょうど10年前にいたエジプトのカイロから。
懐かしい思い出がたくさんあるエジプト。
10年前、サウジアラビアから船でエジプトのハルガダに到着し、
アスワン、ルクソールと古代エジプトを堪能。
その後、ルクソールから乗った列車、思い出深かったな。
持っていたロンリープラネットというガイドブックで、
サハラ砂漠の東の果てを走る1本の路線を発見した。
砂漠の中にあるたった1本の線路。
駅なんか当然あるはずもなく、
線路がところどころ砂に埋もれているので、時々停車しては
砂を払いながら走って行く。
そんな列車とも知らずに、何も買わずに乗り込んでしまったので、
終点のオアシス都市に着いた頃には喉がカラカラで。
ホテルに到着するなり一気に飲み干したコーラが人生で1番美味しかった。
ハルガ・オアシス、ダフラ・オアシス、
ファラフラ・オアシス、バフレイヤ・オアシスと
4つのオアシス都市を周った。
オアシスって、「み……水……」と飢えた人が見る蜃気楼かと思っていたから、
人がたくさん住む町だったんだってことにびっくりした。
そうそう、こんな発見もあった。
道路の上は熱気が揺らめくほど暑いオアシスで、
涼しさ求めてプールに入ったのだけど、逆に、
出たとき寒すぎて震え上がった。
暑さと乾燥で気化熱が激しく身体を冷ますらしい。
オアシスにしばらくいた後、カイロに到着したときは、
久しぶりの大都会に少し困惑したっけな。
日本から送ってもらった荷物を受け取るために沈没した
サファリ・ホテルでの日々、10年前の誕生日を
みんなに祝ってもらったことは一生忘れられない思い出だ。
でも、今回はサファリ・ホテルに行かないかもしれない。
もうあの汚いホテルに泊まる気力がないかもしれない。
どうしようかな。
いや、前回、サファリ・ホテルのあの雑居ビルに到着して、
6階まで上りきったときも、こんな所には泊まれるかって思ったんだよな。
とりあえず、噂の日本人宿をちょっと見ておこうかと行ってみただけだった。
ロビーのソファに座ってる私たちに声を掛けてくれた、
リュウタ君の言葉でその気持ちが変わったのを思い出す。
「サファリに泊まるんでしょ?シェア飯、今日はトンカツだよ」。
長い長いイスラム圏での生活の後の久しぶりの豚にはやられてしまって。
何もかもがそこから始まったんだよね。
リュウタ君、死ぬことはなかったんだよ。
あれからの10年、
辛いこともそれまでの人生のより更新されるくらいのものもあったよ、
でも幸せもちゃんと更新されてるよ。
リュウタ君の作ってくれた美味しい料理のことは一生忘れません。
アイキャッチ写真のサファリ・ホテルのプレートは、
リュウタ君の3回忌のときに、リュウタ君のお父さんが作ってくれたもの。
命を大事にすることが最重要ポイントで、いざ行ってきます!