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【アフリカ大陸縦断030】ムランビ虐殺記念館へ、ミイラの展示室で嗅いだ死臭(@ニャマガベ)

4万5千人が殺害された技術学校

ベッドに南京虫がいることが発覚した。
1日目は蚊だと思っていた。
この2日間よく眠れていない。
おかげで朝早くに目が覚めた。

ニャブゴゴバスターミナルのレストランのメニューに、
ロレックスなるものを発見。
友達がロレックスはおすすめだ、って言ってたのを思い出し注文した。
出てきたのは、薄く伸ばしたスパニッシュオムレツに
チャパティが巻かれたもの。
パッションフルーツのジュースと、なかなかいい朝ごはんになった。
そこで働くスタッフは、カンパラからやって来たのだと話した。

ロレックス

ロレックス

それから、ターミナル内のバス会社に
タンザニア行きのバスをチェックしに行く。
次の目的地までのチケットが買えそうだった。
明るいうちに帰って来れたら、明日、出発してしまおうと思った。

警備員に、ニャマガベ(旧名ギコンゴロ)まで行きたいと言うと、
直行便のマタツまで案内してくれた。
乗客はほとんど埋まっていたので、ほぼすぐに出発した。
8時半。
ゆとりのあるバスの車内に、裕福さを感じる。

ニャマガベへ向かうマタツの中

ニャマガベへ向かうマタツの中

ルワンダもまたウガンダと同じく、緑が多く、田畑も多い。
ゴミがないこと、きれいに手が行き届いている感じの自然、
他のアフリカの国に比べ家も立派だった。
お母さんは赤ちゃんをおぶって、頭には大きな草木を乗せ、歩く。
これはアフリカのどこの国でも同じ光景。

ウトウトとしていると、
11時前にフイエ(旧名ブタレ)の町のバスターミナルに着いた。
フイエは、ルワンダ第2の都市らしいが、それほど大きな町ではなかった。
近代的なのは、キガリのほんの一部らしい。

フイエのバスターミナル

フイエのバスターミナル

ニャマガベまでの通しのチケットを買ったのだが、
間違ってローカルバスに乗り換えてしまった。
ぎゅうぎゅう詰めの車内、途中市場の前では荷物の詰め替えで30ほど停車した。
大きな袋に、野菜をぎゅうぎゅう詰めして、それを車に載せた。
ニャマガベには12時に着いた(500Rwf)。

フイエ〜ニャマガベ間

フイエ〜ニャマガベ間

小さい村かと思っていたら、意外にも立派なホテルがあったり、
思ったよりは町だった。
疲れたので一服しようと、プリマスビールの看板があるレストランに入った。
プリマスビールを飲み、ランチはビュッフェにした。
これまたなかなか美味しい料理だった。

プリマスビール

プリマスビール

昼食の後は、ボダボダに乗って、ムランビに向かった(往復1,500Rws)。
自然が美しい場所だ。
10分ほどで到着。
ムランビ虐殺記念館。
4万5千人のツチ族が殺害された場所だ。
ここは、昔、ムランビ技術学校だったところで、
現在はその惨禍を伝えるための記念館として使用されている。

ムランビ虐殺記念館の入り口建物

ムランビ虐殺記念館の入り口建物

ルワンダ虐殺を煽動したラジオ放送を再現

ルワンダ虐殺を煽動したラジオ放送を再現

入り口の建物の中には、ルワンダ虐殺についてや
ここで起きた悲劇についての説明が展示してあり、それを見て回った。

ルワンダ虐殺が始まった始めの頃、ここに住むツチ族たちは、
教会に避難しようとしていたそうだ。
しかし、「丘の上の学校に避難すればフランス軍の保護が受けられる」という
市長と教会の司教の言葉で、6万5千人のツチ族たちは学校へ隠れることになる。
当時、フランスはルワンダ紛争に人道的介入をしていたのだ。
人道的介入である。
なのに、数日後、フランス軍は唐突にいなくなってしまう。
フランス軍に裏切られたのだ。
それとともに、フツ派過激派民兵によって襲撃を受け、4万5千人が殺害された。
この日の殺害を逃れた人の大半も翌日、教会に逃れるところを殺害されている。

ムランビの集団墓地

ムランビの集団墓地

ムランビ技術学校の校舎

ムランビ技術学校の校舎

展示を見終わった後は、記念館職員に案内され敷地内を歩いた。
入り口の建物の横には集団墓地がある。
そこでしばらく、ここで殺された人のことを思い、黙祷を捧げた。

それから、逃げたツチ族が追いつめられ殺された丘の端の方へ行った。
現在は、ただただ平和で美しいだけの場所だ。
この場所に逃げ着いて、もうダメだと絶望した彼らの気持ちを思うと、
本当に悪夢のようだ。

ツチ族たちが追いつめられた丘

ツチ族たちが追いつめられた丘

その奥、さらに進んで行くと、
技術学校の校舎だったレンガ作りの建物が並んでいる。
この中でツチ族の人たちは、投石用の石を拾い集め、
いつ来るかもわからない民兵に、怯え隠れていたのだ。

校舎一角には、ここで殺された人々のミイラが展示されている。
部屋の中にはベッドが並べられていて、
その上を無数のミイラが寝そべっていた。
ミイラはカビが付着しているのか白かった。
入っていいと言われ、覚悟して入ってみた。

部屋の中は、嗅いだことのない不快な死臭が充満していた。
近くで見るミイラは、髪の毛が付いているものもあったり、
浮いたあばら骨や、爪の感じなんかが、生前の様子を思わせた。
老若男女、あらゆるミイラがそこにあった。
一緒に周っていたケニア人のおじさんたちは平気そうにしていたが、
私にはその死臭があまりに辛く、先に部屋を出た。
ミイラが展示されている部屋はずっと続いた。
それが2棟くらいだっただろうか。
どうしたて気持ちが重くなってしまう。

ここで殺された人々は、息絶えたときの姿で、ずっとここにいる。
死んだらそれで終わり。
時の止まった静かなムランビを後にした。

こういう校舎の一角にミイラが展示されている

こういう校舎の一角にミイラが展示されている

そして、ボダボダに乗って町に戻った。

ボダボダに乗って町に戻る

ボダボダに乗って町に戻る

バスターミナルに行くと、ボルケーノ社とホライゾン社の男たちが
集まってきて、ひどい客引きが始まった。
ボルケーノの男が私の腕を引っ張った。
すると、それはダメだとホライゾン社の男が怒り、喧嘩を始めた。
ルワンダでは、ぼったくらることはなく、人も優しかった。
それが、遠くない過去の歴史に、まだ疲弊しているような印象を受けてしまう。
(実際、未だトラウマを持っている人はいるようだ)。
だから、こういうくだらない争いにむきになっているところを見ると、
逆にこの国の活力を見るような気分で、安心してしまう。

2社のバスは並んで停まっていて、どちらも同じ具合に客が埋まっていった。
バスターミナルを出るとき、窓の外をのぞくと、また
客取り争いが勃発していて、その周りにいる女性たちがそれを見て笑っていた。

ニャマガベのバスターミナル

ニャマガベのバスターミナル

キガリに到着したのは、まだ明るいうちだった。
朝行ったレストランで少し休憩すると、タクワ・クラシック・コーチ社に行き、
タンザニアのムワンザ行きのチケットを買った。
宿に戻ると、部屋を替えてもらった。
シャワーを浴びて、さっさと寝る。
明日は2時半起きだ。

移動:キガリ→ニャマガベ

ホライゾン社もしくはボルケーノ社で4時間。100km。3,850Rws。
キガリ→ニャマガベ

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