モヤレは国境の町らしく、商店が並び、人でにぎわっていた。
思ったよりは危険な感じはしない。
国境に向かって歩くと、バイクタクシーに声をかけられる。
しばらく歩くと、エチオピア側のイミグレーションにたどり着いた。
前情報の通り、どうやら昼休み中らしいので、
そこで昼食をとることにした。
少し戻ったところにあるレストランに入る。
最後のエチオピアビール。
メニューはなく、食べたいものを言ってくれたら作ると言うので、
シロと野菜とパンをくれと言ったら、ちょうどいいものがでてきた。
ビールは2本飲んだ。
ここでエチオピアビールを全種類コンプリートした。
昼食が終わって15時頃、エチオピア側のイミグレーションに行った。
敷地内のイミグレーションの建物に入ると、手続きをしてもらう。
パスポートを渡し、係のおじさんがそれをパソコンに打ち込む。
……とそのとき、ヒューンという音がして電気が消えた。
どうやら停電らしい。
私たちの後にもイミグレーションにやって来る人がいたが、
みんなそこで電気が通るのを待たされた。
中にはケニア側モヤレの町から出るバスのチケットをすでに入手している
人もいて、なぜ自家発電機がないんだと怒っている人もいた。
エチオピア側のイミグレーションは17時で閉まるらしい。
電気が通らないまま、あっという間に時間は過ぎた。
まさか、ここに来てまだエチオピアでもう1泊しないといけない
かもしれないと思い始めた頃、イミグレーションの係がみんなに
預かっていたパスポートを返しだした。
「手続きは明日の朝だ」。
ここでの1泊を覚悟した。
最後にパスポートを取りに行ったら、君たちは長い間待っているから
特別に手続きをしてあげようと出国スタンプを押してくれた。
本当にラッキーだった。
そのまま、ケニア側のイミグレーションに向かった。
途中、エチオピア・ブルをケニア・シリングに替えてくれる両替商がいた。
レートは悪かったが、残金もそう大したことはなかったので、
言い値で両替してもらった。
ケニア側のイミグレーションは18時まで、らしい。
何が起きるかわからないので、急いだ。
ここの国境では、ケニアとウガンダとルワンダの3カ国を共通にしたビザを
発給してもらえ、それは1つずつ取るよりもお得に取ることができる。
3カ国共通ビザの申請書を書くと、
こちらでも起きていた停電が終わるのを待った。
イミグレーションオフィスの前には、日本もどこかの幼稚園で
使われていたらしい廃車になったワゴン車が停まっていた。
しばらく待つと電気が復旧し、無事ビザと入国スタンプをゲット。
その先の、モヤレの町まで歩いた。
まずは、ATMに行ってケニア・シリングを引き出す。
それからナイロビ行きのバスのチケットを手配する。
大通りには、ナイロビ行きのバス会社が何社も並んでいて、客引きが
やって来たが、1番きれいだと噂のモヤレスターのオフィスに直行した。
モヤレスターのスタッフはみんなフレンドリーで、いい人たちばかりだった。
チケットを買うと、そのままスタッフにモヤレの宿を紹介してもらった。
「BISMILLAHI HOTEL」というホテルにたどり着いたものの、
満室とのことで、バス会社が並ぶ通りの「BARISSA HOTEL」を
紹介してもらった。
これまた監獄レベルの宿だったが、明日の朝5時までの滞在なので我慢するしかない。
そのままスタッフに晩ごはんを食べられる場所を
教えてもらって、向かった。
まだ未知なる現地食は食べる気になれず、フライドポテトとサモサを注文。
晩ごはんを済ませると、宿に戻った。
宿の奥には火を起こし、お湯を沸かしている場所があり、
そこからお湯をもらって浴びることができるようになっていた。
今日もシャワーは諦めることにしよう。
髪の毛は手櫛が通らないほどからまっていた。
こちらの町もまた停電していて、夜はキャンドルを点した。
翌朝、目覚ましが鳴った頃、宿のスタッフが起こしにやって来た。
ここに宿泊するのはナイロビに向かう者ばかり。
スタッフは、「ナイロビ~、ナイロビ~」と全室をノックして回る。
したくを済ませて、バス会社に向かう。
朝の5時、まだ外は真っ暗だ。
モヤレライナーやモヤレハラのバスはすでに並んでいた。
最後にやって来たモヤレスターに乗り込むと、6時前には出発した。
未舗装路を走る。
噂では、腰の骨が骨折するかと思うほど揺れるとのことだったが、
私たちが乗ったバスの運転手は適度なスピードで走行するため、
それほど揺れなかった。
すぐにウトウトと眠りについた。
前の席には小さい子どもを連れたお母さんが座っていたけど、
そのお母さんは子どもをあやすのが上手く、
子どもはほとんど泣かなかった。
しばらくすると、舗装路に入った。
しかし、また未舗装路にも入る。
作りかけのアスファルトの道がいくつもあった。
きっと近い将来、すべての道にアスファルトが施され、
このルートも快適になるだろう。
アジスアベバとナイロビを繋ぐ国際列車も建設中とのことだ。
1時間おきくらいに検問があった。
その度、警察官が入ってきて、全員の身分証明書をチェックした。
おそらくソマリア付近は未だ危険なのかもしれないが、
このルートが危険だったのは昔の話なのかもしれない。
小さい町にいくつも停まった。
首に独特の飾りを付けた民族がいた。
男も女もこの首飾りを付けているようだった。
ケニアの北部には、マサイ族とは違ったまた別の少数民族がいるらしい。
時々、牛飼いやラクダを連れた男たちに出くわす。
これはエチオピアから同じ風景。
イシオロという町まではなかなか順調に進んで来ているようだった。
そこから、町中での休憩が長かった。
休憩なく走っていたので、何も食べることができていなかった。
イシオロの町でバスの中に入ってきたバナナ売りの女性から、
バナナを1本買って食べた。
卵売りからゆで卵も買った。
殻を剥いてくれ、2つに割ると、
トマトと玉ねぎのみじん切りと塩をかけてくれる。
エチオピアより南の卵は、黄身が白いと聞いていたが噂通りだった。
小腹を満たすのにちょうどよかった。
それから大きな町を2つ経由し、ナイロビに入った。
いよいよ凶悪都市ナイロビである。
到着は深夜帯になりそうだ。
【場所】バス会社が並んでいる通り。商店の間
【料金】400KSh(シングル)
【設備】なし
【評価】★☆☆☆☆
バス(1等)で7時間。335km。130ETB。