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【アフリカ大陸縦断024】ダウンタウンの宿とキベラスラム(@ナイロビ/ケニア)

ケニアの土産にトキメキ。マサイマーケットへ

ケンジさんの持っていた地図のアプリでどこにいるかを確認する。
到着したのは、どうやら空港の近くらしかった。
人が多い通りで降ろされたので、まだ安心だ。
しかし、時刻は22時すぎ。
凶悪都市ナイロビの深夜帯である。
信頼の置けるバスの運転手に、タクシーの運転手を紹介してもらって、
宿に向かった(1,000KSR)。

「ナイロビは危なくないのかい?」とケンジさんが運転手に聞いた。
「全然大丈夫だ。
ほら、この時間でもたくさん人はいるだろ。
持ち物を取られても命までは取りはしない。
今は警察が強盗を殺してもいい法律があるから、
強盗もだいぶ減ったよ」。
ペラペラとよくしゃべる運転手は、チャットを噛んで、
目がギラギラとしていた。
とある交差点に差し掛かるとき、火が見えた。
何か事件かと思ったが、どうやらホームレスたちが
焚き火をしているようだ。
街中でするには規模が大きすぎる焚き火だ。
ダウンタウンに近づくと、窓を閉めろと言われた。
物を取ろうとする輩がいるそう。
車は大渋滞を起こした。
ナイロビは、この渋滞が問題なんだと運転手は話した。
そんなに遠くはない距離だったのに、30分近くかかった。

ケニアには日本人の集まる宿が2軒ある。
1つは郊外にある「ジャングルジャンクション」という宿。
日本人が泊まっていると噂が広まり、数年前には強盗が何度か出たらしい。
もう1つは、「ニューケニアロッジ」。
治安の悪いダウンタウンにある。
始めはこの2つ以外に泊まろうかと思っていたが、
やっぱり日本人に会いたくなってこの2つのどちらかに泊まろうと思い、
強盗は勘弁なので、ニューケニアロッジを選んだ。

2階建の建物の2階が、ニューケニアロッジ。
いつでもきっちり鉄格子の扉に鍵をかけてくれている。
ケンジさんがダハブで会ったというあやちゃんという女の子が泊まっていた。

宿のスタッフに近くのレストランまで案内してもらった。
ダウンタウンにはクラブが点在するらしく、
クラブの外に溢れた若者たちが絡んできた。
彼らの挑発に反応せず、ただ前を向いて歩いた。
レストランでは、カレーを食べた。
ナイロビは、イギリスの植民地だった時代に、ウガンダ鉄道を開発する工事の
中継地点として生まれた都市だ。
ウガンダ鉄道建設に際し、英領インド人が投入され、
その後インド系の移民が定着した。
なのでケニアには、チャパティやカレー、サモサなど、
独自に進化してしまっているインド料理を食べられる店がどこにでもある。

ケニアのカレー

ケニアのカレー。違う店ではまた違った形で出てきた

チェックインを済ませると、すぐにシャワーを浴びた。
なんだかんだ4日ぶりのシャワーだった。
涼しかったので汗はほとんどかいていないが、
4日ぶりとなるとものすごい気持ちよかった。
シャンプーは5回目にやっと泡立った。
アフリカに来る前までの感覚なら、
できればあまり泊まりたくないレベルの宿だが、
ホットシャワーがあって電気が通っているだけでものすごい居心地がよかった。
久しぶりにネットも繋がった。


翌朝、疲れが溜まっているはずなのに早くに目が覚めた。
宿で出されるチャイを飲む。
ちなみにこの日撮った写真は間違って全部消してしまったので、
何も残っていない。


あやちゃんがマサイ・マーケットに行くと言うのでついて行くことにした。
マサイマーケットは、ケニアの土産を売る市場のことで、
週に何度かナイロビ市内で場所を変えながら開催される。
他のマサイマーケットにも行ったというあやちゃん曰く、
かわいいものだらけで欲しいものがいっぱいだったとのこと。

宿を出て少し歩くと何かと客引きに声を掛けられる。
タクシーやバジャジ(トゥクトゥク)、ボダボダ(バイクタクシー)の運転手、
荷物を運ぶ仕事の人、物売り。
この町の人は、この町に限らずアフリカのどこの都市でもだいたいが、
黒人以外はお金を持っていると思っている。
しかし、物乞いは見かけなかった。
昼間は人通りが多いので犯罪は少なさそうだ。
相変わらず、交通渋滞は激しく、道を渡るのに一苦労する。

ナイロビのダウンタウンには荷物を運ぶ仕事が多い

ナイロビのダウンタウンには荷物を運ぶ仕事が多い

ダウンタウンの靴磨き屋

ダウンタウンの靴磨き屋

市内マタツ乗り場の近くのレストランに入った。
チキンシチューとウガリを注文。
ウガリとは、ケニアで食べられている主食で、
穀物の粉を湯で練り上げたものだ。
饅頭の薄皮みたいな感じで味は特にしない。
エチオピアのインジェラよりはだいぶいい。
あやちゃんは、インジェラの方が好きらしい。
人の好みなんてそれぞれだ。

レストランを出たところから、タウンが見えた。
ナイロビは4つに別れていて、ビジネス街がタウン。
宿のあるダウンタウンは商業地区で庶民の居住地。
西部郊外にある高級住宅街ウエストランド地区と、工業地区がある。
市内マタツ乗り場を越えて、北の方に向かった。
地元の人に聞きながら、マサイマーケットに到着。
いろんな民芸品を並べた店が広がっていた。

マサイ族の赤い布やビーズのアクセサリー、木彫りの置物や絵……
いろいろ売っていた。
あやちゃんのいう通り物欲が出てきた。
ケニアの土産は、ヒルトンホテルの1階の土産物屋にも売っていて、
定価が元々安いそう。
このマサイマーケットで値段を聞くと、
ヒルトンの土産屋より2倍くらいふっかけてきているらしかった。
買いたいなら交渉しなくてはいけない。
とりわけ、木製のお皿とカゴバッグがお気に入りだったけど、
それを最後まで持ち帰ることを思うと諦めざるを得なかった。

結局何も買わず、帰りがけにフルーツプレートを買って帰って食べた。
あやちゃんはその後、ナイロビ在住30年の日本人女性が運営する、
スラムの孤児たちを預かるボランティア施設へと旅立った。
私はヒルトン横のATMでUSドルを降ろしに行くと言う
ケンジさんと一緒に出かけた。

ダウンタウンからタウンへ。
宿はどこに行くのにもアクセスのいい場所にある。
ヒルトン近くはビシッとスーツ姿がかっこいいビジネスマンがたくさんいた。
ケンジさんがATMに行くのを待って、
ヒルトンホテルの1階のヒルトンアーケードに行った。
ヒルトンアーケードには店が並び、その中の2軒が土産屋。
規模の大きなマサイマーケットの方が品揃えは豊富だけど、
値段が決められたところでしかも安く買えるというのは買い物がしやすい。
荷物にならない程度に買い物をした。

ナイロビのタウン

ナイロビのタウン

ナイロビのタウン

ナイロビのタウン

ナイロビのタウン。建物が立派

ナイロビのタウン。建物が立派

ナイロビのタウン。ビジネスマンもオシャレ

ナイロビのタウン。ビジネスマンもオシャレ

宿に戻ると、宿に併設したツアーデスクで、
明日出発するマサイマラへのツアーを申し込んだ。
足りないお金はATMで引き出した。
夜はマサイマラへのツアーへの準備をした。

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翌日から、2泊3日のマサイマラツアーに出かけた。
【アフリカ大陸縦断025】たくさんの動物たちに出会ったサファリ体験(@マサイマラ国立公園)

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マサイマラツアーから帰った翌日は、
1日ブログの更新と休養にあてることにした。
なのに、その日は朝から停電した。

昼、宿の向かいのビルの2階にあるバーに行った。
ビールを飲みながら、隣のレストランからビーフシチューを注文して食べる。
窓からナイロビのダウンタウンを臨む。
目の前には喫煙所があった。
雑多に見えてきちんと分煙していることに少し驚いた。

ナイロビのダウンタウン。右側の小屋が喫煙所

ナイロビのダウンタウン。右側の小屋が喫煙所

昼寝して、ブログを書いて、夜もまた同じ店でビールを飲んだ。
どうやら停電しているのは、うちの宿だけらしい。
いつまで経っても復旧しない電気。
こういうことは珍しいと宿のスタッフが言っていた。
部屋に戻るとキャンドルを灯した。
宿には、ドイツ人がわんさかとやって来た。
アフリカでは、なぜかドイツ人に会う確率が高い。

宿の前のNAWAS HOTELのバー。横にレストランもある

宿の前のNAWAS HOTELのバー。横にレストランもある

翌朝9時すぎ。
ロビーにいると、ドレッドヘアーの若い男の子がやって来た。
今日は、キベラスラムを歩こうと思っていたので、
宿でガイドをお願いしていたのだ。
キベラは、南アフリカのヨハネスブルグにあるソウェトに次ぐ、
アフリカで2番目に大きなスラムだ。
彼は、ジョセフという名前のキベラ出身者。
私たちのガイドだ。

彼についてケンジさんと一緒に出かけると、ヒルトンまで歩いた。
ヒルトンの横にあるミニバス乗り場からキベラ行きが出ている。
キベラは、ナイロビ市外南西に位置する。
驚くことに、ナイロビの人口の過半数がここに住むらしい。
ヒルトンから20分ほどで到着。

キベラには、16の地域に別れているそうだ。
まず最初にたどり着いたのは、DCという地区。
家々の屋根がトタン製で、民家や商店が雑多に並んでいる。
行ってみて思ったのは、思ったよりも悲惨さがないということ。
インドの外れの方がよっぽどひどいところだったように思う。
何か起きそうな空気感や、人々の殺伐とした視線も、
南米の治安の悪いと言われている町の方がよっぽど強かった。
比べる対象が悪すぎるのかもしれないけど、
スラムを題材にした映画を観てイメージしていた世界と少し違っていた。
ここも多くの人が住む場所だ。
悪人と廃人だらけじゃ成り立たない。
とはいえども、世界のどこかの町には悪人と廃人だらけに近い町もあるって
何かの記事で読んだことがある。

キベラスラム。道が凸凹

キベラスラム。道が凸凹

ジョセフが舗装された大通りから、未舗装の小さい通りに入って行った。
道は相当凸凹していて、歩きにくかった。
道の脇には、ゴミがたくさん積み上がった場所があり、悪臭が漂った。
教育を受けることができなかった貧困層の人々は、
安い賃金の仕事をたくさん掛け持つ。
ひどい人は5つも掛け持つそう。
忙しい彼らに、道路の掃除をする余裕はないのだ。
政府はお金になる事業には投資するが、キベラは放ったらかし。
ゴミの収集もなければ、道路も悪い、
公衆トイレを建てても機能していないものばかりだった。

キベラスラム

キベラスラム

どういうわけか、モスクは立派な建物だった。
ムスリムとクリスチャンは、別々の地域に住む。

ウガンダ鉄道の斜面はゴミだらけ

ウガンダ鉄道の斜面はゴミだらけ

ウガンダ鉄道を歩く人々

ウガンダ鉄道を歩く人々

ウガンダ鉄道を越え、次に行ったのはマシモニ(Mashimoni)という地区。
音楽CDのショップがあったり、パブがあったり、
娯楽を楽しむ人々の姿も見受けられた。
小さい通りを歩き、ウガンダ鉄道の線路に出た。
ナイロビでは、ほとんどチャイニーズかと聞かれたのに対し、
ここではジャパニーズかと聞かれた。
線路の下にあるカトウェケラ(Katwekera)地区を見下ろすと、
トタン製の屋根の上に目の模様の入った布が被せられていた。
それは雨よけの布で、日本のある団体が寄付したものだそう。

雨よけの布が被されているカトウェケラ地区の家々

雨よけの布が被されているカトウェケラ地区の家々

教会に入ってみたいというリクエストに応えて、
教会にも連れて行ってもらった。
線路沿いにあるトタン製の屋根の小屋が教会だった。
中には祭壇があり、司祭がいて修道士がいる。
礼拝の時間はこの小屋がいっぱいになるそうだ。
自己紹介してみるものの反応がない。
「彼らは君たちとコミュニケーションを取りたいんだけど、
英語がしゃべれないんだ」とジョセフは言う。
キベラのクリスチャンの地区では、ゴスペルを合唱する教会をいくつも見た。

キベラの教会内

キベラの教会内

そのまま歩くと、今度はソウェト(Soweto)地区に入った。
お母さんたちは、たらいに入った大量の洗濯物をせっせと洗濯し、
子どもたちがその周りを遊び回った。
とある一角では、水はけの悪いドロドロの道があって、
荷車を引いたおじさんがものすごく大変そうに歩いて行った。
その近くでは、女性たちが髪を編んでいた。

水はけの悪い道

水はけの悪い道。おじさんの運ぶ袋の中には骨が入っているんだと見せてくれた

キベラの片隅で。女性が髪を編んでいた

キベラの片隅で。女性が髪を編んでいた

最後に訪れたのは、キアンダ(Kianda)地区。
入り組んだ小さい道の先にある、ジョセフの家に連れて行ってもらった。
お母さんと、お姉さんと、甥っ子・姪っ子がいた。
部屋の中を見せてもらった。
小さい家の中に、二段ベッドと居間があるだけ。
隣もその隣もこんな感じの家だと教えてくれた。

ジョセフの実家

ジョセフの実家

最後の最後に行ったのは、「キングス・オブ・キベラ」の事務所。
実はこうして、私たちのような外国人観光客を案内するのも、
このキングス・オブ・キベラのプロジェクトの一環なのだ。
ジョセフ他数人のスタッフで運営されているこのキングス・オブ・キベラは、
ストリートチルドレンを引き取って、学校に通わせ、
社会へ送り出すという活動をしている。
資金は、キベラ内を案内して得るガイド料や支援金が主だ。
今は14人の男の子と1人の女の子がこの施設を利用しているらしい。
彼らが住む部屋や自習室を見せてもらった。

キングス・オブ・キベラの事務所にいるジョセフ

ジョセフは言う。
「政府は何もしてくれないから。
自分たちで動いて行くしかないんだよ」。
それぞれ地区ごとに、こういったプロジェクトを推進する人がいるらしい。
なんて素晴らしいプロジェクトだろう。
キベラ・スラムが良い方向へ向かっていくことを心から祈った。

キングス・オブ・キベラの自習室

キングス・オブ・キベラの自習室

キベラの子どもたち

キベラの子どもたち

お昼すぎ、キベラ内でランチを食べてから宿に戻った。
電気が復旧していた。
ロビーでは、宿のスタッフがみんな世界陸上の中継に夢中だった。
それもそのはず、短距離走の早いケニア人がたくさんいて、
金メダルを取りまくるのだ。
その度に興奮して、喜びまくっていた。
昨日、アップし損ねたブログをアップし、気付いたら夜も深まっていた。
近所のレストランに出かけるがどこももう閉まっている。
すると、ケンジさんが袋麺を分けてくれ、それを晩ごはんにした。
ケンジさんは明日、あやちゃんと同じ施設に、ボランティアに行くそうな。
洗濯物が乾けば明日、私も次の目的地へ移動だ。

キベラ・スラムのガイド

ニュー・ケニア・ロッジに、キベラのガイドをお願いすると、
Kings Of Kiberaのガイドさんを手配してもらえる。
もしくは、直接、Kings Of KiberaのFacebookにて申し込むことも可能。

ケニアの宿:New Kenya Lodge

【住所】River Road | P.O. Box 43444, Nairobi
【料金】750Ksr(3ベッド・ドミトリー)
【設備】Wi-fi、コンロ
【評価】★★★★

移動:モヤレ→ナイロビ

モヤレ・スター社のバスで16時間。780km。2,000Ksr。
モヤレ→ナイロビ

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