オアハカのバスターミナルで電光掲示板を見ていて気付く。
ビジャエルモサは、パレンケ行きバスの経由地ではないだろうか。
ビジャエルモサでパレンケ行きに
乗り継ごうと思っていた私には、朗報だ。
カウンターに行って確かめると、やはりそうだったらしく、
チケットをパレンケまで買い直した(128ペソ追加)。
17時に出発したバスは、いくつかの街に停まり、
早朝5時にビジャエルモサに到着。
一度、乗客たちは全員バスを降ろされる。
荷物を乗せたバスが、どこかに行ってしまったときは焦ったけど、
同じバスに外国人旅行者と思われる人がいて状況を説明してもらった。
同じバスが別のレーンにやって来て、それに再び乗車する。
席のすぐ側の液晶テレビで、アナ雪のスペイン語バージョンが始まった。
メキシコの長距離バスは、どれも映画を上映するのがお決まり。
ほとんどがスペイン語の吹き替えなので、
私にとっては、ただの騒音になることが多いのだけど。
アナ雪が終わる頃に、パレンケに到着した。
しばらく待っていると、荷物預かり所がオープンしたので、
荷物を預かってもらった。
(荷物はサイズにより値段が異なる。
45lのバックパックが1時間7ペソ。要パスポート)。
昨日の夜から降り出した雨も、少量の霧雨に変わり、
傘をささなくても歩けそうだった。
セントロに向かって歩き、1番始めに出くわしたレストランで、
ちょっとリッチな朝食にした。そして、チップも弾んだ。
近くのショップで、タバコを買って吸っていると、
遺跡行きのミニバスがやって来たので乗りこんだ。
ミニバスは、街を外れジャングルへと進んで行く。
途中、ゲートがあり、そこで自然保護区への入場リストを買う(28ペソ)。
そのままミニバスは、遺跡入場チケット売り場の前まで行ってくれた。
チケットを購入すると、入り口へと向かった。
霧雨のジャングルは、どことなく神秘的で、
この遺跡を発見した考古学者を思うと、
どんなにワクワクしたことかと想像すると楽しい。
ジャングルの奥に開けるパレンケの遺跡。
パレンケは、マヤ文明の古代都市遺跡で、世界遺産に指定されている。
7世紀に最盛期を迎えた都市の遺構としての宮殿を中心とする、
マヤ遺跡の典型といわれる建物群が密林の中にある。
18世紀の半ば頃にスペイン人の手により発見された。
目の前に現れるのは、碑文の神殿だ。
雨に濡れた石の階段は、私の履いている
メレルのカメレオンではものすごく滑る。
ヨボヨボのおじいさんに心配されながらも、頂上に到着した。
宮殿や、十字架の神殿まで見渡すことができる。
それから、パレンケの遺跡の中央部にある宮殿に行ってみた。
宮殿の上にある塔は、マヤ建築でも他に例のない高さ15メートルの4階建て。
塔の壁面は東西南北を指していることから、
天体観測に利用されたと推定される。
天体観測塔の周辺を歩き、宮殿の中なども見た。
そこから川に向かって歩いていると、土産売りの男の子が近づいて来た。
「What is your birthday month? 」
と聞いてくるので、「July」と答える。
箱の中いっぱいに入ったマヤカレンダーのペンダントの、
7月のものを差し出される。
遺跡の中には、マヤ文明に関する土産物を売る人がたくさんいる。
そこから、川を渡った小高い丘の上にある十字架の神殿周辺を歩いた。
葉の十字架の神殿を通り、十字架の神殿に上り、
隣にある太陽の神殿を見下ろす。
そのまま北の建物群に行って、またそれに上ろうとしたら、
他の石の階段よりも一層滑りやすく、私には上れそうになかった。
一通り遺跡を見ると、遺跡を後にし、ミニバスでセントロに戻った。
パレンケのセントロは、小さいが観光客の多い街らしく、
少し高級な飲食店も多い。
観光客の集まるセントロの中心以外は、ただの地方都市といった様子。
パレンケのセントロをてきとうに散策すると、
タコス屋でお腹を満たし、バスターミナルに戻った。
夕方に出発するはずのカンクン行きのバスは、
2時間以上遅れてやって来た。
そのおかげで、スペイン語の勉強がかなり進んだのでよしとする。
バス(ADO社)で14時間。760km。736ペソ。