深夜のバスターミナル。時計を1時間進める。
ボリビアとパラグアイには1時間の時差がある。
さすが首都の大きなバスターミナルだけあって、深夜でも店が開いている。
両替をすることもできた。
同じ悪路を共にした日本人で集まって、
宿までのタクシーをシェアすることにした(30,000Gs)。
目指すは日本人宿。
深夜2時半、もしかしたら宿は開いていないかもしれない。
そう思って、タクシーには待っていてもらうことにした。
呼び鈴を鳴らすと、オーナーの旦那さんが出迎えてくれた。
タクシーの運転手にお金を払い、荷物を宿に持って行った。
日本人宿「民宿 らぱちょ」はこじんまりとしていて、
最大収容人数7名。
アスンシオンは観光地ではないけど、バックパッカーたちの交通の要所であり、
この宿は重宝されているようで、すでに満員だった。
しかし時間も時間だし、リビングに雑魚寝でもいいので、
宿泊させてもらうことになった。
暑い地域で汗をいっぱいかいて、赤土の砂埃をたくさん被ってきたので、
とにかくシャワーを浴びたかった。
着ていたものを全部、洗濯機を使って洗わせてもらうこともできた。
……そんなこんなしているうちに朝の6時。ようやく眠ることができた。
朝、朝食が用意される音で目が覚めた。
睡眠時間は2時間半ほど。
目が覚めたついでに、朝食をとった。
そこに集まった女子たちの間では、らぱちょの奥さんに見せてもらった
ニャンドゥティーで盛り上がった。
ニャンドゥティーとは、パラグアイの先住民(パラグアイだけではない)
グアラニー伝承のレース編みのこと。
アスンシオン近郊のイタウグアがその産地らしく、
アスンシオンで売られているものとは全然クオリティが違う。
いろんな種類を見せてもらったが、
繊細な糸で作られたものは本当に芸術的だった。
そのまま荷物をまとめると、チェックアウトした。
それから荷物を預けて、街に出てみることにした。
近くの大通りから路線バスに乗って、中心地に向かう。
ボロいバスは、よく揺れた。
中心で降りると、日差しが強くとても暑かった。
パラグアイ川に向かって歩く。
高いビルの間、カフェの店先に出しているテーブルでコーヒーを飲む人。
パラグアイ北部の人の少ない地帯からは信じられないくらい都会だ。
川の手前に大統領府があった。
その先、パラグアイ川沿いには、パラグアイ水軍の艦船が停泊していた。
川沿いには、ジョギングする人たちもいる。
そのまま、街の方に向かって歩いて行く。
国会議事堂は、近代的なビルだ。
その前の公園は、少し治安が悪そうな雰囲気。スラムが広がる。
そこで食べられているのか豚が歩いていた。
憲法記念広場まで歩くと、ピンクの建物である旧国会議事堂が建っている。
そのままパラグアイ独立発祥の地である、独立の家博物館の前を通った。
土産物などが売られているにぎやかな通りの一角にあるカフェで昼食にした。
冷房が効いた涼しい店内で、出されたビールはワインクーラーに入っていた。
店のすぐ先には、霊廟がある。
霊廟といっても教会のような建物。
初代大統領カルロス・アントニオ・ロぺスとその息子フランシスコ・ソラノ・ロペスほか、
ブラジルからの独立戦争の英雄達が祀られている。
霊廟のある英雄広場は、露店が並ぶ。
像の前でひと休みした。
2時間くらい街を歩くと、宿に戻って荷物を引き上げた。
タクシーでバスターミナル
【住所】Av. Bruno Guggiari 498 esq. Cnel. Orangereieff Planta Alta Barrio Pinoza Asuncion Paraguay
【料金】3,000Gs(リビングでマットを敷いて)。4,000Gs(ドミトリー)
【設備】Wi-fi、キッチン、洗濯機(無料)、朝食付き
【評価】★★★★☆
【アメリカ大陸縦断042】
バスが何度も故障で27時間遅れ(サンタ・クルス〜アスンシオン)を参照。