今日は、バンナ族の成人の儀式を見に行く日。
若いハマル族のドライバー・アビチャのバイクに乗って、
予定より早く12時すぎには出発した。
幹線道をアルバミンチの方へ少し行くと分岐点があり、
そこからの未舗装路は、これより先の南部の町に繋がる。
この先にあるのは、アルバ(alduba)という町。
カイアファールとアルバのちょうど中間あたりで北に道をそれた。
道なき道を行くと、バンナ族の女の子が木の影で休んでいた。
ブーザは、彼女にどこで成人の儀式があるか聞いているようだった。
恐らく、ブーザを筆頭にドライバーの誰も、
成人の儀式がどこで行われるのか確実なことは知らないようだ。
そして、どこにどんな村があるのかも地元の人に聞かないとわからないらしい。
バンナ族の言葉で「ナガーヤ」というのがこんにちは、
という意味だと教えてもらった。
前髪にパッチン止めをたくさん付けた彼女に挨拶をした。
それからまた出発すると、とある場所でバイクを停めた。
「ぼくが村長に話を付け、君たちを紹介するまでは、
写真の撮影はしないでほしい。
それから、挨拶はきちっとすること。出されたものは、飲むように」
……との指示を受ける。
そして、村に向かった。
入り口すぐ側に小屋があって、バンナ族の人々が集まっていた。
覚えたての挨拶で握手を交わす。
その小屋を過ぎると、草木を分けてさらに奥に進んで行く。
少し山の斜面を昇ると、木々の間にバンナ族が素朴に暮らす集落があった。
土壁に藁でできた屋根の小さな家がいくつも立っていて、
奇抜な格好のバンナ族がそこで生活をしていた。
昨日市場で見た壺が、蒔をくべた火の上で料理に使われていた。
壺の蓋は女性のヘルメットだった。
その先のシートのある場所に通された。
大きな実を使って作ったお椀を渡された。
中には並々と灰色の沈殿物が浮いた飲み物が入っている。
飲むのは少し躊躇われたが、ここは行くしかない。
あまりたくさん口に入ってこないように飲んだ。
良く例えると、味のない不味い味噌汁。
一口で十分だったが、勧められると断れなかった。
その後、同じような容器でちょっと味の変わったコーヒーもいただいた。
村の女性たちが歌を歌いだした。
仰々しく歌うのでなく、その歌は生活に溶け込んでいた。
あちこちで掛け合いのように歌われる。
思っていることを歌にしているんだそう。
それからブーザたちが話をつけている間、集落を散策した。
とはいってもそんなに大きな集落ではない。
その場で見渡せるほどの大きさだ。
木漏れ日の差す村の中心付近で、女性たちがお互いの髪にバターを塗り、
赤土を擦り込んでいた。
この髪型は、既婚女性がするものだ。
若い未婚女性は、普通に髪を編んでいるだけ。
みんなきっちりと髪を手入れしている。
家々の一部はキッチンとして使われていて、
そこに火にかけられた壺が並んでいた。
中には、黒い豆が入っていた。
インジェラを焼いている人たちもいた。
これから始まる成人の儀式に期待が高まる。
しかし、そこへブーザがやって来て、話がつかなかったと言われた。
普通ならありえない金額の入村料を請求されたらしい。
ここまで来て見られないとは、残念すぎる。
兎にも角にも、その場にはいられないのでバイクを停めた場所に戻った。
他の集落に行くから追加で100ETBくれ、と言う。
なんだかだまそうとしているような疑わしい気分でもあった。
ある程度の確実性を持って集落に行ってもらわないと、こちらとしても困る。
また見ることができない可能性があるんだったら、
追加料金を払ってまで行く必要があるのか。
迷っている私たちにドライバーの1人がこう言った。
「もし次の場所で成人の儀式が見れなかったら、最初に払ったバイク代以外は
払わなくていい(私たちは今朝バイク代の600ETBだけ先払いしていた)。
今度は確実なんだ」。
やっぱり成人の儀式は見てみたかったし、
その言葉を信じて行ってもらうことにした。
しばらく走ると、アルバの町に到着した。
小さな商店に立ち寄ると、ブーザは
周りにいた人から情報を集めているようだった。
それからまたバイクを走らせると、ディメカに向かう道をそれた。
そこから道なき道を行く。
そこを通るバンナ族たちに何度も道を尋ね、村を探す。
出くわすバンナ族の中には弓矢を持った人もいた。
しばらく走ると、開けた場所があった。
遠くにアカシアの木々が見えるアフリカらしい風景の大地。
そこへ足に鈴をつけた女性が走り去った。
シャン、シャン、シャンと音を鳴らしながら、
傾きかけた暖かい陽差しの中を駆け抜ける。
そんな女性が何人か、先に見える村に向かって走って行った。
村に到着しバイクを降りると、
先ほどの鈴を付けたバンナ族の女性集団に囲まれた。
歌を歌い、踊り、飛び、鈴が鳴り響く。
彼女たちは陶酔しているように見えた。
なんとなくぼんやりイメージしていたアフリカの少数民族のイメージ
そのままだった。
歓迎されているのか何なのかは、わからなかったが、
彼らはしばらく私たちの周りで騒がしく踊った。
それがしばらく続き、彼女たちが別の場所へ移動して行くと、村に入った。
先ほどの集落とは違ってかなり大きな規模だ。
バンナ族の数も相当なものだった。
敷かれた毛皮の上に座ると、先ほどの集落と同じように
大きな実でできたお椀で、灰色の飲み物を飲んだ。
周りにいるバンナ族のおじさんに勧められるものだから、
何口も何口も飲むハメになった。
お腹が心配だ。
しばらくすると、食事を出された。
黒い豆を潰したもので、味は赤飯のようだった。
日本で女の子に生理が来ると赤飯を食べるのと同じように、
ここバンナ族の村でも成人の儀式にこの赤飯に似た食事をとるのだ。
まさかこんな異質な文化の土地で、日本との共通点を見出すとは思わなかった。
それから、村を散策した。
始めは、ブーザたちに写真を撮ってもらった。
黒豆を潰して食事を作るところを見学させてもらって、
バンナ族の集団の中に混じって一緒に食べた。
とてもフレンドリーな女性がいて、言葉はわからなくても
身振り手振りで彼女たちとコミュニケーションを取った。
それから、踊りを踊る女性たちが戻ってきたので
彼女たちと一緒に歌って踊った。
ライフルを持った女性がリーダーのようで、
彼女が掛け合いの歌を歌うと、周りがそれに続いた。
「私たちは強い女性で、何者にも屈しない」そういった意味の歌らしい。
時々、ペットボトルに入った酒が回ってきた。
子どもたちもそれを飲んだ。
ショットくらいの強いお酒で、それを飲んで踊ると、酔いが回った。
みんな陶酔しているわけだ。
集団は、村を抜け、アフリカの大地を踊り歩いた。
陽がだいぶ傾いてきた。
途中、外国人観光客が2人やって来ただけで、部外者は誰もいない。
目の前に繰り広げられているこの素晴らしい光景は、ショーではないのだ。
クーラーの効いた涼しい部屋でMacに向かって仕事をしている私と
同じ地球の上で、彼らはこのような日を過ごしているのだ。
世界は広く、想像もつかないほど多様である。
それから少し離れたところの広場で、成人男性の化粧をする儀式に立ち会った。
2人の成人男性が重なるように座り、周りの大人たちが彼らの顔に化粧を施した。
赤いものを塗った後、白いもので模様を付けた。
その後ろでは、鞭打ちの儀式が始まった。
木の幹でできた鞭を持った女性が、男性にそれを渡し、叩いてもらう。
男性は嫌がっているようにも見えた。
中には、血が出るほどの強さで叩いている人もいた。
女性は叩かれて喜んでいるようだった。
女性の背中には傷跡がいくつもあった。
また別の場所では、男性が集まり、歌を歌いながらジャンプをしていた。
時々、何人かが前に出る。
それを繰り返した。
しばらくすると、女性3人組がやって来て、ジャンプする男性陣に近づいた。
その頃、彼らのお父さんやおじさんがその場にやって来た。
それらのことがどういう意味のあることなのかはわからなかったが、
ずっと彼らの様子を眺めていた。
彼らは恋をしたりするのだろうか。
やっぱり親の決めた相手と結婚するのか。
陽が沈むまでの間は、また鞭打ちの儀式が行われたり、
女性の踊りがさらに激しくなったり、
いろんなことが行われている村中を散策して歩いた。
陽が沈んだ頃、いよいよ牛飛びの儀式が始まるらしかった。
また別の広場に行くと、牛が1列に並べられていた。
成人になった男性が、牛に飛び乗り、牛の背中を3往復するそう。
その頃、もうほとんど辺りが見えないほど暗く、
周りで何が起きているのか見えなかった。
ドライバーの1人が案内してくれて、
どうやら牛飛びの儀式をしているらしいところに行った。
残念ながら暗すぎて何も見えなかった。
フラッシュをたいて写真を撮ればいいと言われ、
なんだか邪魔をしているようで申し訳なかったが、1発写真を撮った。
撮った写真を確認すると、ピントは外れていたが撮れていた。
素っ裸の男が並べられた牛の上を歩いていた。
本当にものすごい儀式だ。
それを見ると、すぐにバイクに乗って、カイアファールに向かった。
村を出た後、少し道に迷った。
夜の冷たい空気の中でとても寒い道のりだったが、興奮は冷めなかった。
空を見上げると、細い下弦の月と満点の星空が見えた。
アフリカってすごい。
私の旅至上3本の指に入るエキサイティングな経験だ。
バイクで1時間。約30km。
ツアー代1,400ETB(入村料150ETB、儀式見学料500ETB、バイク700ETB、ガイド400ETBをディスカウントしてもらった)。