ルンドゥのバス発着場所になっているガソリンスタンド。
オプウォの手前オシャカティまで行くコンビをみつけ、
まずはチェックイン。
ノートに名前を書いて、荷物をワゴン車の後ろについた荷台に載せる。
ちゃんとしたシステムができているところに、経済の発展を感じる。
乗客がほとんど集まっていたので、
それほど待たずに出発することができた。
9時前に発車。
西へ進んでいく。
陽が上がるとものすごく暑くなったが、
なぜか誰も窓を開けないので蒸した。
乗客全員で15人と子ども2人、
ワゴン車に乗る人数がつい最近いた国に比べてだいぶ減った。
休憩に入ったスーパーでは、
ミニッツメイドのオレンジジュースを一気飲みした。
15時半くらいにオシャカティの町に到着した。
町の中止にあるスーパー「SPAR」の前が
コンビの発着所になっているようだ。
また冷たいジュースを買って飲んだ。
それから、オプヲ行きのコンビを探した。
オプヲ行きのコンビはなく、どうやらシェアタクシーで行けるらしかった。
シェアタクシーの乗り場は少し離れた広場にあった。
私たちが1番目の乗客で、満車になるまで出発しないらしかったので、
近くのガソリンスタンドのショップでビールを買って飲みながら待った。
他の乗客もまたビールを飲みながら待っていた。
町中で堂々とお酒を飲めるのは、
アフリカの南部に入ってイスラム教徒がいなくなったからだ。
しばらくすると、遠くの方から、
独特の民族衣装を着たおばさんが車に近づいてきた。
そのおばさんが同じ車に乗り込んだので、興奮してしまった。
彼女は、腰の辺りをしぼった足がすっぽり隠れるふわふわの長いワンピースに、
牛の角のような帽子を被っている。
これは、ヘレロ族の衣装だ。
これから会いに行くヒンバ族とヘレロ族は、元々同一の民族だったが、
ドイツの植民地時代に、ヘレロ族はキリスト教と西洋的な暮らしを選んだ。
そのため今でもビクトリア調の衣装に身を包んでいるのだ。
1時間半ほど待つと、乗客が集まり発車。
車の中から夕陽が落ちるのを眺めた。
オシャカティからオプウォまでは220km。
オプウォに着いたのは暗くなってからのこと。
シェアタクシーのいいところは、目的地まで連れて行ってくれるところ。
お目当ての宿に到着した。
1番安い部屋は満室だったので、その上の部屋に泊まることにし、
明日安い部屋に移動させてもらうことにした。
レセプションの女性に、ヒンバ族の村に行くツアーを
アレンジしてもらえないか聞いてみた。
「この宿ではツアーはやっていないけど、今ここに泊まっている日本人が
明日のツアーをアレンジしたみたいだから、一緒に行かせてもらえば?」
とのこと。
案内されて宿の奥に行くと、敷地内の隅の方にテントが張られていた。
「こんばんは!」と言うと、「こんばんは」と返ってきた。
テントに泊まっていたのは、ヒデくんという男の子で、
昨日オプウォに着いたそう。
みんなでレセプションのテーブル席に行くと、話をした。
やはりエチオピア南部のように、
町を歩いているとツアーの勧誘を受けるそうだ。
JICAの人たちがアレンジしたツアーに便乗しようかと思っていたが、
3人でツアーをアレンジしてもいいと言うので、そうしてもらうことにした。
JICAの人たちが頼んだ人に、私たちも頼もうということになり、
明日、彼らが出発する場所に行って、直接交渉してみることに決まった。
翌朝9時前、レセプションで集合すると、3人で町の中心に向かって歩いた。
すると、前からボヨーンと大きなお乳がたれた裸族のおばさんが歩いて来た。
彼女はデンバ族。
デンバ族の女性は、カラフルな布やビーズを身にまとい、
ドレッドの髪に黒土を練り込んでいるのが特徴だ。
その先を歩くと、世界1美しい民族と言われるヒンバ族もいた。
オプウォ周辺には、カオコランド(Kaokoveld)という地域があり、
そこにはヒンバ族が住んでいる。
ヒンバ族の総人口は約2万人から5万人と言われており、
電機やガスのない自然の中で牛や山羊を放牧しながら生活をしている。
集落に住むヒンバ族も買い物をしに来たり、バーに飲みに行くため、
乗り合いのトラックなどでオプウォの町に出て来たりする。
ヘレロ族もたくさんいる。
ヒンバ族の女性とヘレロ族の女性が一緒に行動しているのも珍しくない。
元々同じ民族だったこの2つの民族は、今でも仲がいいようだ。
厳密に言うと、ヒンバ族は元々ヘレロ族だった。
18世紀半ばに人口増加と、大間伐により家畜を飼えなくなったことで、
ヘレロ族の一部がクネネ川を渡りアンゴラへ移動した。
そこでンガンヴェ族に「物乞い」と言う意でヒンバと呼ばれたそう。
それが今日のヒンバ族のルーツ。
そしてこの2つの民族、実は彼らもジェノサイドの歴史を持っている。
1904年から1907年にかけて、
ドイツ帝国により先住民族のヘレロ人が虐殺されたのだ。
それにより、ヘレロ人の8割が死んでしまった。
そこから西洋の文化を受け入れるヘレロ族と、
現代までずっと自分たちの生活を守り抜くヒンバ族、
と歩む道が別れる。
彼らはどちらも放牧をしながら生活し、同じ言語を話す。
町の中心にはガソリンスタンドがあり、
そこはコンビやシェアタクシーの発着場所になっている。
その横に大型スーパーがある。
スーパーの入り口に日本人がいるのが見えた。
今日、ヒンバ族の集落に行くJICAの人たちだ。
彼ら4人はナミビア各地でそれぞれボランティアを行っていて、
その中にオプウォに住む女性がいて、
彼女を頼りにみんながこの町に集まったそう。
ガイドは、エリザベスという女性。
私たちも彼女に明日のツアーをお願いした。
それからスーパーで買い物をした。
スーパーにもヒンバ族はいて、買い物カゴを持って野菜を吟味していたりする。
レジにも普通に並んでいる。
不思議な光景だ。
女性ばかり目についていたが、よく見ると男性もいた。
ほとんど普通の格好なのだが、お尻に布を付けていて、棒を持っている。
宿に戻る途中、前から3人の大人が手を繋いで歩いてきた。
ヒンバ族の女性と普通の格好の男性とヘレロ族の女性。
真ん中に挟まれた男性の奥さんがヘレロ族の女性で、
ヒンバ族の女性はヘレロ族の女性の妹だそう。
旦那さんが奥さんの妹と手を繋いでいることもそうだし、
姉妹で民族が違うということも、とにかく不思議だらけだった。
宿に戻ると、レセプションの横でみんなで昼ごはんにした。
それから、近くのバーにタバコを買いに行った。
ナミビアでは、日曜日にお酒の販売をしない店が多いが、
その店では販売しているようだったので、買った。
昼から酔っ払っていた移民っぽい男にセクハラされた。
今後ナミビアでどのように旅するか予定を立てると、
南アフリカに抜けるまでの資金をおろしに行くことにした。
オプウォの町は歩いているだけで楽しい。
デンバ族はガツガツした土産売りもけっこういるが、
ヒンバ族はのんびりとしている。
写真を撮らせてもらっても、お金を取らない人もいた。
大型スーパーの前に銀行やATMがあるので、そこでお金をおろした。
それから、ガソリンスタンドの奥にある市場に行ってみた。
みんな気さくな人ばかりだった。
衣類や日用品、食料品が売られている。
市場の真ん中には、大きな木と大きな蟻塚が並んでいて、
そこには若いデンバ族の娘がいた。
ヤギ肉売り場には、ヤギの首が転がっている。
大通りに出ると、バーにいるヒンバ族の姿もあった。
その日の夜は、3人で近くの食堂に晩ごはんを食べに行った。
明日のツアーが楽しみになった。
【住所】PO Box 30, Opuwo 9000
【料金】220N$(スタンダードルーム・ツインシェアの1人当たり。トイレ・シャワー・冷蔵庫・電子レンジ付)
140N$(バジェットルーム・ツインシェアの1人当たり。トイレ・シャワー付)
【設備】Wi-fi
【評価】★★★★☆
1. ルンドゥ→オシャカティ。コンビで5時間。200N$+荷物代10N$。
2. オシャカティ→オプウォ。シェアタクシーで2時間半。150N$。