15時、バスは発車。
久しぶりの快適なバス。
少し寒いくらいのエアコンもパラグアイの暑い日中なら、心地いい。
交通量の多いアスンシオンの街を抜けると、緑の中の一本道を走る。
国道7号線は舗装道路だが、1本でも道を入ると未舗装路になる。
赤土と緑と青空。
道沿いには、民家が点在し、芝刈り機で庭の手入れをする人の姿が見えた。
田舎の生活には、バイクが欠かせない様子。
車もバイクもボロいものは見かけなくなり、乗車人数も常識的な数だ。
立派な牛を何度も見かけた。
牧場を営む家が多いようだ。
ブラジルとの国境の街、シウダー・デル・エステに向かうバス。
途中、273km地点(シウダー・デル・エステから53km地点)で
降ろしてもらわなくてはいけない。
運転手にも添乗員にもその旨は伝えてある。
道端に距離が書かれた杭が打たれているので、
自分でも今いる場所を把握した。
目指すはイグアス移住地。
ここに来るまで、あまり知らなかったのだけど。
日本は、戦前から戦後、失業率と低い給料に悩まされていたとき、
政府の海外移住事業団(現在のJICA)が、
海外への出稼ぎ政策を打ち出していたことがある。
主にブラジル、ペルー、ボリビア、そしてパラグアイで行われたもので、
パラグアイには現在、ラ・コルメナ移住地、ラパス移住地、ピラポ移住地、
イグアス移住地と4つの日本人居住区がある。
地球の裏側にある日本人居住区。
いったいそれがどんなところなのか見てみたく、訪れることにしたのだ。
パラグアイとはどんな国なのか、とにかく窓の外の景色をずっと見ていた。
遠くに大きな入道雲が見えた。
その下だけ大雨が降っているのがわかった。
しばらくすると、その入道雲の下を走った。
日が暮れると、辺りはすっかり暗くなり、
ちゃんと宿にたどり着けるのか不安になった。
外灯があるところとないところがある。
20時前、添乗員に誘導されバスを下車した。
らぱちょの奥さんに教えてもらった通り、
SOSと大きく書かれた非常電話と東屋(バスの停留所)が近くにある。
しかし、外灯はなく足下すら見えない。
とにかく教えられた通り、東屋の横を民家の光に向かって歩いた。
翌朝来た道を見てみたら、道の端の草むらに入っていた様子。
手前の民家では、何匹もの番犬に吠えられた。
1ブロック先のはずだけど、何も見えない。
恐る、恐る、歩を進め、その先に見えた明かりを目指した。
家の前まで着くと、日本語が聞こえてきた。
「こんばんは。すいません」と声をかけると、
「はーい」と言って宿のお父さんが迎えてくれた。
お母さんもまたやって来て、部屋を案内してくれた。
とても広々としていて清潔な部屋。
ちょうど晩ごはんの時間だったらしく、他の部屋の旅行者と一緒にいただいた。
その日の夜は、スキヤキだった。とても美味しい肉。
パラグアイビールもいただいた。
「この時間、人工衛星が通るのよ、見に行ってみましょ」。
お母さんの誘いで、屋上に上がった。
驚くほどの満点の星。プラネタリウムみたい。
これまで標高の高い場所での星が一番きれいだと思っていたけど、
それよりもきれいに見える気がした。
天の川はくっきりと。見たことのなかった小さな星雲も見えた。
ベスト星空・イン・マイライフ、堂々の1位はここパラグアイの日本人移住地だ。
流れ星も絵に描いたような流れ方で見えた。
願い事をしっかり唱えることができそうなくらい滞空時間が長かった。
その日の夜は、睡眠不足と疲労がすっかり解消されるくらいよく眠れた。
小林さんちでは、月曜の朝は餅つきの日だ。
朝から、餅をつく音が聞こえてきた。
ついたお餅は、農協で販売もしているそう。
私たちは前日の睡眠不足から昼前まで起きることができずに、部屋にいた。
ようやく部屋を出ると、小林家の番犬ジョンこに見送られ、出掛けた。
7号線に出ると、路線バスに乗って42km地点まで向かう。
「コロニア・イグアス」と芝生の斜面に
書かれたところを過ぎたあたりが42km地点だ。
バスを降りると、7号線沿いを歩いてみる。
大通り沿いは、商店が多い。
ガソリンスタンドの横の道を入ってみると、道の奥の方に鳥居が見えた。
日本語で書かれた標語の看板もある。
その手前にあるスーパーに入ってみた。
日本のお菓子に漬物、モヤシやミョウガなど日本独特の素材まで売られている。
店員も日系人がいる。
ここは、農協の経営するスーパーのようだ。
朝から何も食べていなかったので、
日本食を食べようとレストランを探して歩いた。
しかし、なかなかみつからない。
近くにいたパラグアイ人に聞いてみると、
「しらさわ」というレストランがあるということはわかった。
だだっ広いイグアス移住地。
そこにたどり着くのは時間がかかりそうだった。
お腹が空きすぎたので、とりあえず7号線に戻って、
とりあえず、ガソリンスタンドのイートインで軽食をとることにした。
グラナディーヤというフルーツを使ったババロアみたいなスイーツが、
ものすごく美味しかった。
そのまま、7号線沿いのスーパーにも行ってみた。
こちらにも、日本のものが置かれていた。
そこから、鳥居の方までもう一度行ってみることにした。
鳥居をくぐると公園だ。
ちなみにこの鳥居は、パラグアイ人市長が友好の証として建てたものらしい。
公園の中を歩いて行くと、日本語の記念碑が見えた。
当時まだ皇太子だった現天皇陛下が、
この地にに植樹を行ったことを証明するものだ。
その近くには、日本人とパラグアイ人の融和をイメージした
レリーフ「友好の碑」がある。
公園をぐるっと一周して、公園から伸びる道を歩いた。
すると、「うどん」と書かれた看板を発見した。
「ふくおか亭」というお店だった。
さっそく中に入ってみると、店内のテレビではNHKが流れていた。
割烹着を着たお母さんが注文を取ってくれる。
カレーうどんと、冷やし中華を注文。
奥にいた地元日系人のお客さんは、
席を離れるときこちらに扇風機を向けてくれた。
気の使い方やしゃべり方は、日本にいなくても日本人なんだと関心。
バイクに乗って、おそらく仕事場へと戻って行ったものと思われる。
イグアス移住地での時間の流れ方はとてもゆっくりしているように感じる。
小学生の頃の夏休みのような感覚。
扇風機に当たりながら、NHKを見て、
どこか日本の片田舎に来ているような気分。
カレーうどんも冷やし中華もとても美味しかった。
それから、農協のスーパーに行った。
昼休み時間が終わるのを待って、再オープンすると、
ビールやお菓子やフルーツを買った。
帰りのバスは40分も待つことになった。
宿に戻ると、台所のある部屋でゆっくりビールを飲んだ。
窓の外には、お父さんが庭の手入れをしているのが見えた。
陽が当たるところは暑いけど、風通しのいい家の中は涼しくて心地いい。
台所のある部屋ならインターネットも繋がる。
お母さんが指圧の仕事から帰って来ると、
私たちに夕日を見に散歩しに行くことを勧めてくれた。
家を出ると、ジョンこがついて来た。
ジョンこと一緒に散歩。
赤い1本道を歩く。
遠くに森のような地帯が見えた。
私たちが来るまでは、雨が降ったりもしたらしいけど、
昨日から雲のひとつない青空。
イグアス移住地は、特に何かあるわけじゃないけど、この景色や星空、
ここに住む日本人たちが魅力的で思い出深い場所になりそうだ。
その夜はお母さんのカレーライスを食べた。
らっきょうや、みょうがの漬け物なども出してくれた。
その日もまたお母さんと一緒に屋上で星を見た。
人工衛星もばっちり見えた。
翌日チェックアウトすると、お父さんに
7号線沿い41km地点にある日本食レストランの店まで送ってもらった。
「レストラン・ファゼンダ」という名前の店。
昨日もここにはたどり着いていたが、
まさか日本食が食べられるとは思っていなかった。
メニューを注文すると、荷物を置いて、
近くの銀行に両替しに行った。
少しだけグアラニーが足りなさそうだったから。
そこの職員にも日系人がいた。
カツ丼とパラグアイ料理を食べた。
店内には日系人もいたけど、親子丼を食べているパラグアイ人もいたりして、
なんだか不思議な光景。
昼食を終えると、7号線まで出てバスが来るのを待った。
少し待つと、シウダー・デル・エステまでのバスがやって来たので乗車。
次は国境を越えて、プエルト・イグアスを目指す。
【料金】40,000Gs(トイレ・シャワー付き・ツイン)※2015年より値上がり
【設備】Wi-fi、キッチン、洗濯機(無料)、露店ジャグジー(10ドル)、晩ごはん(有料)
【ブログ】http://blog.livedoor.jp/minsyukukobayashi/
【予約】(国番号595)0983-602-561
【評価】★★★★★
バス(Cruzero del este社)で5時間半。274km。60,000Gs。
※Cruzero del este社が1番ターミナル以外で停車してくれやすい。