グアナファトからメキシコシティまでは、
それまでの他の場所よりもっと緑が多く、田畑も多数あった。
やはり、文明が栄える場所だけある。
メキシコシティの北バスターミナルにたどり着いたのは、15時半頃。
明るいうちに着いておきたかった。
メキシコに来てから初めて乗るメトロに戸惑っていると、
親切な女性が声を掛けてくれた。
地方出身の彼女はメキシコシティにやって来て4年。
「来たばかりの頃は、私も地下鉄には戸惑ったわ」。
そう言って、途中まで一緒に行ってくれた。
メトロもバスも時間帯によっては、
前方に女性専用車輌や女性専用セクションを設けているらしく、
その時間帯じゃなくても、その車両に乗っておけば危険度は減るそうだ。
とにかく夜は気をつけることと念を押された。
確かにこれまでの街よりも、肌で感じる危険度は高い気がする。
地元の人が言うのだから、本当に気をつけないといけない。
後は一駅というところまで、彼女と一緒に行ってもらったのだけど、
目的のRevolucion駅に着くと、停車したのにドアが開かなかった。
後で知ったのだけど、どうやら工事中だったらしい。
一駅折り返して、目的の駅までたどりつくと、ホテルを目指して歩いた。
散々迷ってたどり着いた先の日本語の文字にはホッとするものがある。
メキシコシティで泊まろうと思ってやって来たのは、
世界各地にある有名な日本人宿のひとつ「ペンションアミーゴ」だ。
その夜、宿の中庭で日本人同士のサルサのレクチャー大会が始まった。
本当に初歩の初歩のステップだけ教えてもらった。
サルサをしてみようと思ったのがそれが初めてだけど、
この先、サルサ文化の中心地に行くのに、
知っておいた方がきっと楽しいにちがいない。
翌日、宿で出される朝食をみんなで食べながら、
「今日、何するの?」なんて会話をしていて、
ベリーズのビザを取りに行こうと思うと言うと、
ほんの1週間ちょっと前くらいからベリーズに行くのに
ビザが必要なくなったとの情報をもらった。
それで今日しようと思っていたことがなくなったので、
街でも歩いてみようと思い、いろんな人にアドバイスを聞いた。
そして、ソカロに行くことにした。
メトロに乗って、ソカロへは4駅。
ソカロの駅を出ると、大きな聖堂が目の前に広がる。
メトロポリタン・カテドラルだ。
ここは、メキシコのすべてのカトリック教会を統轄する総本山的な施設。
中は、バロック様式の重厚な内部装飾で覆われ、
宗教絵画の名画も飾られている。
その前はソカロ(中央広場)だ。
ソカロに立ち、地図をながめるがイマイチ位置関係がつかめず、
とにかく歩きまくった。
メキシコシティはその昔、テスココ湖が広がるのみの土地だったようだ。
1345年、湖上の島に首都テノティトランを築き、
その後、メキシコ中部からグアテマラの海岸部まで勢力を拡大し、
14~16世紀までアステカ王国として栄えた。
都市から対岸には何本かの土手道が築かれ、
中央部にはピラミッドの築かれた壮麗な都市となった。
メトロポリタン・カテドラル敷地内には、
埋め立てられたピラミッドが見える場所がある。
16世紀にはテスココ湖の干拓が行われ、
湖はメキシコシティの東部にのみ残ることとなっている。
そのまま、ソカロの周辺を散策。
小さな教会や、美術館なども多い。
国立宮殿の周りは時間が経つにつれ、
露店商がたくさん店を並べ始め活気立った。
途中おなかが空いて、レストランに入った。
入ってから気づいたのだけど、
そういえばメキシコでは14時からがランチタイムらしく、
まだランチタイムではなかったため、
モーニングメニューしかないようだったが、てきとうに注文した。
その後、国立宮殿へ入ろうとしてみるが、本日は開館していないようだった。
何か行事があるときは、閉館するそう。
その横に併設する博物館に入って、展示を見た。
それから、宿の方向に向かって歩き、しばらくすると、
ベジャス・アルテス宮殿が見えてくる。
ここは、メキシコで最も格式の高い大劇場のひとつだ。
メキシコ風アールデコ調に内装された内部を見学し、
そこを出ると、少し疲れたので休憩を取ることにした。
休憩のために入ったのは、青いタイルの家。
青いタイルの家は、その名の通り青いタイルで覆われた建物で、
サンボーンズの1号店だ。
サンボーンズはメキシコシティのいたるところにあるレストランのチェーン店。
レストランだけでなくいろんな商品を売る店が併設されており、
もちろんこの建物にも入っている。
サンボーンズ独特の制服を着たウェイトレスさんに、
コーヒー(22ペソ)を注文した。
外装だけでなく内装も素晴らしく、食器もまた素晴らしい。
地元のおじさんが新聞片手にコーヒーを飲んでいたりもする。
何度もおかわりを入れてくれ、結局3杯も飲んでしまった。
サービスも良い。
そのまま、クリスマスモードににぎわった
アラメダ・セントラル公園を通って宿に戻った。
夜は、同じ宿の小松さん親子と一緒に晩ごはんに行った。
小松ひとみさんは、メキシコについてとても詳しく、
いろいろとメキシコシティについて教えてもらいながら、
オススメのレストランに連れて行ってもらった。
宿からの最寄りのRevolucion駅から、
2号線に乗ってメキシコシティの南のErmita駅に降りた。
Ermita駅は、中間層が住む住宅街で、夜でも危なくないそう。
なかなかしっかりとした家が並び、静かだ。
その中にポツンと建つ一軒のレストラン。
レベルとしては、中級。
しかし、なかなか工夫されたオシャレな店内で、人でにぎわっている。
レストランの名前は秘密。ひとみさんの隠れ家だ。
中間層は共働きの家が多く、忙しい分、外食が多い。
だから、味にはうるさく、美味しくない店は流行らないんだそう。
料理は、ひとみさんオススメの、
牛肉の炒め物が入ったケサディージャとマッシュルームのスープを頼んだ。
今まで冒険しながら食べていたメキシコ料理より、別格で美味しい。
やはりオススメの店だけあるものだ。
ひとみさんは、大学院の文化人類学部で、
メキシコのストリートチルドレンを調査している。
今回の調査は、娘さんのさとみちゃんと一緒だ。
その後、ソカロにも寄ってもらった。
ライトアップされたソカロ周辺はとてもきれいだった。
昨日からメキシコで最も大切とされるクリスマス期間ポサダに
入ったため、学生は休みに入っており人通りが多い。
通りにはいろんな仮装をした人がいて、さとみちゃんは興味津々。
まさか、夜のメキシコシティの街を歩くことが
できるとは思ってもいなかったので、
ひとみさんには本当に感謝だ。
翌日は、テオティワカンの遺跡を見に行くことにした。
テオティワカンとは、紀元前2世紀から6世紀まで存在した、
テオティワカン文明の中心となった巨大な宗教都市遺跡。
当時のアメリカ大陸では、最大規模を誇っていた文明だ。
北バスターミナルまで行き、
警備員のおじさんにピラミッドまで行きたいと言うと、
8番カウンターに連れて行かれた。
チケット(片道42ペソ)を買い、さっそくバスに乗り込む。
メキシコシティから1時間くらいで、テオティワカンに到着する。
「ピラミダス、ピラミダス」。
運転手のおじさんがそうアナウンスするので、そこで降りた。
入り口でチケットを買う(1枚59ペソ)。
その奥に進むと入り口があるので、そこでチケットを見せ中に入った。
入り口からしばらく商店が並び、レストランもある通路を抜けると、
そこから遺跡が広がる。
目の前にあるのはケツァーツコアトルの神殿。
この神殿はメソアメリカの中でも最も保存状態の良い考古学的記念碑で、
カラフルな塗料の跡が未だに残っている。
そのまま進んで行くと、南北5キロにわたる死者の道に繋がる。
右手に見えてくるのが、太陽のピラミッド。
太陽のピラミッドは、世界で3番目の大きさ。
ちなみに、1番目はエジプトのクフ王のピラミッド、
2番目がこれもエジプトのカフラー王のピラミッド。
ということは、エジプトのピラミッドにも行ったことあるので、
ここで三大ピラミッド制覇になった。
しかも、太陽のピラミッドは登頂可能なピラミッドの中では世界最大。
さっそく上ってみる。
噂には聞いていたけど、日差しが強く、ものすごく暑い。
ピラミッドの階段は一段一段が高く、急な傾斜で思った以上に上るのが辛い。
高さ65m。
それでも、頂上からテオティワカン全体を見渡すと壮大さな景色を見ると、
上ってきた甲斐を感じる。
それから、月のピラミッドにも行ってみた。
その背後にある聖なる山セロ・ゴルドの頂上と重なるように配置されている。
公式の祭儀と生け贄の儀式の舞台となった場所だ。
月のピラミッドに上ると、南に伸びる死者の道を一望することができる。
その前には、月の広場がある。
その隣にはケツァルマリポーサの神殿、
ケツァルパパロトルの神殿、ジャガーの神殿があるのだけど、
なぜか入り口が閉まっていた。
帰りは、インディオベルデスの駅で降りた。
この駅の方がどこへ行くのもアクセスがいいとのこと。
他にも行きたい場所はあったけど、太陽の日差しにすっかり
疲れてしまっていたので、帰ることにした。
部屋に戻ると、今朝キューバへ発ったはずの
同じドミトリーの相方が寝ていた。
なんでも、出発の1時間前にはチェックインしていないといけないのに、
向かっていたバスが通勤ラッシュに巻き込まれ、
そのタイムリミットに5分遅れてしまい、乗れなかったそうな。
「せっかくもう仕事に行かなくていいと思ったのに。行きたくない……」。
そうぼやきながら、買い直す羽目になったチケット代を取り戻すため、
メイクアップして夜のお仕事に出かけて行った。
これでもかってくらいサバサバしていて、
とてもおもしろい魅力的な女の子だ。
メキシコシティの見所の多さと日本人宿の心地良さに、
予定より長居してしまいそうになりそうだ。
翌日は、メキシコシティの博物館をめざすことにした。
パセオ·デ·ラ·レフォルマの大通りからバスに乗る。
本来なら宿を出たら20分ほどでバスに乗れるはずなのに、
まだ地理を把握しておらず、東西南北すらわかっていなかったようで、
バスに乗るまでに1時間近くかかってしまった。
パセオ·デ·ラ·レフォルマの通りはメキシコシティでも、
重要な大通りで、その途中にはいろんな塔が建っている。
その中の1つ、独立記念塔でバスを降りた。
それから、チャプルテペック通りまで歩き、チャプルテペック城を目指した。
チャプルテペック城のあるチャプルテペック公園に入る。
チャプルテペック公園はメキシコシティの西にある広大な公園。
博物館や美術館、動物園などいろんな施設が集まる。
出店もちらほら出ており、家族連れやカップルでにぎわっていた。
小高い丘を上っていくと、チャプルテペック城がある。
メキシコ革命勃発時期に、この国を独裁したディアス大統領夫妻の
公邸としても知られ、当時の調度品や室内装備がよく保存されている。
それは、それは、とても美しく、どんな豪華絢爛な生活をしていたのかと
想像すると、生きてから死ぬまでの人生のあり方の多様さに驚いてしまう。
また、この丘からは、メキシコシティを一望することもできる。
チャプルテペック城を後にすると、公園内を歩いた。
池があり、ボートに乗るカップル。
その前では、大道芸人が周りの人々を楽しませている。
そのまま、公園の北にある国立人類学博物館に行った。
美術館に行くか博物館に行くかすごく迷ったが、こちらにした。
アフリカでヒトが誕生し、各地に渡るところから、
アメリカ大陸の文明、メキシコの歴史がよくわかる博物館。
テオティワカン、マヤ、アステカなどの遺跡からの
重要な発掘品が展示されている。
メキシコ北部は高度な文明が発達しなかったらしく、
やって来た道を思い返し、納得できるものがあった。
メキシコシティは、標高2,200mあり朝晩はとても冷え込む。
(メキシコシティは高低差があるため、高いところだと4,500mある)。
出かけるときに羽織るものを忘れたせいか、その夜、具合が悪くなった。
喉が痛くなって、節々も痛い。風邪の菌が体中を回っていくのがわかった。
すぐに薬を飲んで、ダウンジャケットを着て、
ブランケットをたくさんかぶって寝た。
翌朝、目が覚めるともうお昼だった。
それでもまだまだ寝足りなかった。
フルーツが食べたくて露店に買いに行き、
それを食べ、薬を飲むとまたぐっすりと眠った。
旅を始めてから、なんだか興奮気味であまり眠れていなかったので、
この際よく休んでおこうと思った。
すると、夕方には回復していたので、
昨日約束していたルチャリブレに行くことにした。
同じ宿の関くんと一緒に、宿を出ると
メトロ3号線のBardelas駅に向かった。
Bardelas駅から5分くらいでアレナ・メヒコに到着。
アレナ・メヒコはルチャリブレの聖地的存在だ。
ルチャリブレとは、スペイン語でプロレスのこと。
特にメキシカンスタイルのプロレスのことを言う。
メキシコでは、高い人気を得ている格闘技で、
メキシコを中心に中南米で盛んに興行がおこなわれている。
カメラは会場内には持ち込めないので、入り口で預かってもらう。
チケット売り場で、スペイン語がわからずやっと買えた席は、
一番安いGRADASというもので35ペソ。
階段を上がり、一番上の段のフロアに行く。
まだ始まらないのか客が全然いなかったので、
その中の一番いい席についた。
20時半、開演。
プロレス興行のストーリー上の善玉として振舞うベビーフェイスのテクニコと、
ヒールのルードに分かれて、激しい戦いを繰り広げる。
覆面レスラーがほとんど。
ヒールが優勢になると大きなブーイングの嵐。
それぞれ3本勝負で、1番目の試合は4人タッグマッチ、
2番目の試合は6人タッグマッチ。
3番目の試合は女性4人タッグマッチで、ものすごくかっこよかった。
4番目は1対1で、強そうな2人の荒い試合だった。
5番目は6人タッグマッチで、人が入り乱れる大乱闘戦だった。
日本のプロレスも生で見たことのない私には、
とにかくすごい技の連続で、興奮しまくった。
メキシコシティ最後の夜として、とてもいい夜になった。
【住所】Ponciano Arriaga 12,COL.Tabacalera,MEXICO D.F
【料金】1泊目100ペソ、2泊目90ペソ(3人女ドミトリー)
【設備】Wi-fi、キッチン
【評価】★★★★☆
バス(PRIMERA PLUS)で4時間。362km。510ペソ。